数年前の大晦日のこと。父と二人、西新井大師へ年末参りに行った。師走も最終日となり、よく冷え込んだ夜だったことを覚えている。
足早に参拝をし、「寒い!寒い!」と言い合いながら、近くの古い蕎麦屋に入った。店内は年越しそばを啜る客で賑わっていたが、運よく空席があり、席に通された。
年季が入って黄ばんだメニューを開く間もなく、父は「熱燗二合ね」と、店員のおばちゃんに声を掛け、熱燗とお猪口が二つ運ばれてきた。同時に温かいそばを注文し、父にお酌をした。
冷えた身体に熱燗はじんわりと吸収され、熱々のそばをずるる、と啜ると、出汁の旨みに口元が緩んだ。同時に、いよいよ年の瀬を実感した。
十数年ぶりに再会した父との時間は、昔の涙が嘘のように楽しかった
幼い頃、両親の離婚と同時に東京を離れた母と私。
大人になった私は、仕事で再び上京し、父と十数年振りに再会をした。父は大のお酒好きだったので、週末の仕事終わりはよく二人で飲みに行った。
昔、東京を離れた日には、もう二度と父の元には戻れないのだ、と思い込み、新幹線の中で涙を流し続けていたことが嘘のようだった。互いに親子であり、職を持つ大人であり、職人気質の父からは、仕事についての心持ちもたくさん教わった。大人になった今でこそ話してくれる話なんかも楽しかった。
数年後、私の転勤が決まり、奇しくも上京前の街に帰省する形となった。
引っ越し前日も、父と最寄りの駅でお酒を飲み、いつもと変わらない時間を過ごした。少しの間、会えなくなるのは寂しかったけど、また東京に遊びにきた時に一緒にお酒を飲もうと思っていたから。
一年後、転勤先での仕事に追われ、東京に帰る間もなく過ごしていた中、父の近所に住んでいた叔父から電話がかかってきた。父が自宅で倒れ、そのまま逝ってしまったと。
「仕事は休むなよ」。仕事人間の父の言葉を胸に、東京には行かず出勤
頭が真っ白になり、その場に崩れ落ちたことを覚えている。親戚、警察署の方からの電話が現実味を色濃くしていき、心の中が空っぽになっていった。
それは日曜日の夜のことで、次の日は出勤日だった。同居していた母は大層心配していたが、私は出勤した。
本当は今すぐにでも東京に行くべきところ、叔父が私を心配し、「一通りの対応はするから、数か月後の納骨式の時に来たらいいよ」と気遣ってくれたこともあるが、何より仕事人間だった父の言葉が心の中にあったから。
「無理はするな、けど仕事は休むなよ、行ってたらいいことあるから」
数か月後の納骨式に参加した。長身でしっかりした身体の父は、もう真っ白な骨になり、骨壺に小さく納まっていた。
お世話になったお寺は、以前、父と来た西新井大師の近くにある小さなお寺。骨壺を抱きながら、あの年末のことや、日々一緒に食事をしたことが次々と思い出されて、涙を堪えた。
以来、大晦日が近くなると、あの日の年越しそばを思い出す。寒い大晦日の日、あの古い蕎麦屋で過ごしたどこにでもあるような時間は、もう二度と戻らない。