恋愛が、全然わからないのである。
中学校、高校、どちらも女子校で過ごしてきた私は、「面白さ」重視で人と付き合ってきた。可愛い必要なんてない、面白ければ全てよしという、コンプレックスなんて持ちようのない世界で、10代のほぼ全てを過ごした。

大学に入ると周囲は恋愛に忙しそう。私は頑張って恋愛したくなかった

しかし、大学生になった時、周りの評価の基準が急に「可愛いこと、綺麗なこと、恋人がいること」に変わった。その急激な変化に、私は追いつけなかった。
「化粧なんて穢らわしい、服選びはめんどくさいから色違いをたくさん持っておけば十分でしょう?」という考えは、ほぼ誰も持っていなかった。
そして、私は「恋人が欲しい」と一寸たりとも思ってこなかったが、周りは恋愛にとてつもなく忙しないのである。

そんな感覚で生きてきたから、当初は周囲のカップル誕生に「ほほぉ、こういう感じなんだね~ハハ」としか思っていなかった。
しかし、こういう環境に一度身を置いたからには私も周りに巻き込まれるのである。星の数ほどの恋愛相談、恋人の愚痴大会、こっちとしてはごめん被りたいくらいである。
ただ、友達であるから断るに断れない。私としては、「六年間女子の生態しか見てこなかったこの私に一体何の相談を持ちかけるつもりだ?」といった感じなのだが、相手は真剣なので、こちらも親身になって、フワフワとした曖昧な答えを提示する。惚気話も、幾千回も聞かされた。
そうしているうちに、私は自分が何か、人としてあるべき路線から外れて生きているような気がしてきたのだ。つまり、恋人がいないことが人間としての欠陥と捉われる世界に私は迷い込んだのである。

それでも私、頑張って恋愛したくないな。恋人作るためにせこせこメッセージ送るのは、なんかダサいしヤダな、という気持ちで一年間はやり過ごしてきた。

心から思ってないことを口にしたとき、友人は私にダメ出しをしてきて

そんな周囲の恋愛騒動の中で、いわゆる台風の目のような存在だった私が、ついに暴風域に入ってしまうのである。
二年生になった春である。私は、友人の惚気話を聞かされながら、焼き鳥やお酒を飲んでいた。この日はあまりに惚気話が長く、友人はこちらの話に耳を貸そうとしなかった。
彼の一方的な会話に飽きた私は、「ハハそっか。私も恋人できると良いなあ」なんて心から思っていないことを自虐的に口に出した。その瞬間から、相手はさらに調子づいた。
そして、「えいみは、身なりに気をつけたりとか化粧とかしないからダメなんだよ~」と不意にダメ出しをされた。

急に涙が溢れてきて止まらなくなった。一年間、これだけ友人の相談に乗ってきて、私は何もお礼も言われないし、最終的に傷つけられ、何だかもう、恋愛って本当にやだな。
本当に最悪、何で恋人になったら、義務みたいにキスしてセックスしてるの?それ本能から?慣習としてやってるだけでしょ?恋人って気持ち悪い!といった気持ちも同時に湧き起こった。
結局その日は一人、電車でさめざめと泣きながら帰宅した。

コロナ禍の間に私にも恋人が。自分なりの「定義」を大切にしている

その夜は、「私って恋人も親友もいなくて、本当にダメな人間だなあ」と自分自身に対する卑下が止まらなかった。彼の言ってること、一般的な考えでは、間違ってないんだよなあ、間違ってないんだけど、大学生になって急に恋人を作ったり化粧をすることが当たり前になったり、友達より恋人が優先になってしまうことを私は受け止めきれずに、ベットでまたしくしくと泣いたのである。

それから一年後、コロナウイルスの蔓延によって私は大学に通学できなくなった。だから、私が多くの人の恋愛を目の当たりにしたのは、今のところたった二年間である。
その間に、私にも恋人ができた。彼らの気持ちが今となっては少し理解できるが、「ウーンやっぱり騒ぎすぎだろう、あれは」と、私は今でも時々振り返るのである。
そして私は今でも恋人を「いたら嬉しいけど、いなくても大丈夫」な存在と定義づけ、無理して作る必要なんて全然ない、と思っている。