いつものように、バイトの休憩時間にSNSを見ていた私。あの日私は、自分の顔に幻滅した。
なぜなら、SNSを見ているときの自分の顔が目に入ったからだ。
SNSと私の距離感。
SNSを見ている私の顔は、悪魔に取り憑かれたかのように、無表情な顔をしていた。あのときの私は、何を思ってスマホの画面を見ていたのだろうか。
日常生活で、SNSや、スマホと心の距離を適度に空けているだろうか
さらに気づいたことは、スマホの画面と顔の距離が近かったこと。もし子供だったら、遠くにしなさいって怒られていたかもしれない。
果たしてあのとき私はSNSを見る必要があるものだったのだろうか、そんな思いが頭をよぎった。
限られている時間を使って生きている私たち。日常生活の中で、SNSとの距離、スマホと心の距離を適度に空けているだろうか?適度に換気しているだろうか?
SNSの中での距離感もそうだ。
例えば、冷たい心で、冷ややかな目でSNSを見ていたならば、もしかしたらアンチとなってしまう可能性もある。逆に、温かい心で、新たな情報をキャッチする目的でSNSを見ていたならば、温かいコメントをするのかもしれない。
SNSの中で生きているとき、果たしてそのとき私たちの顔はワクワクしているだろうか?夢に溢れているのだろうか。
時間があると手持ち無沙汰でSNSを見たり、メールの確認をしてみたり、気づいたらもうこんな時間になってしまっていたと驚くこともあるだろう。
よく分かる。私もぼーっとしながらSNSを見てしまう常習犯だから。さらに最近SNSでは、私におすすめなものを勝手に分析してくれ、表示をしてくれる便利な機能ができたよう。
となると、これから先私たちはSNSで何かを「選択」する機会は減るのかもしれない。
しかし「選択」は、他人に任せることはできない。
さらに、他人に任せることのできない選択とは「自分の生き方」だ。
SNSで、探しているものの答えが見つからなかった理由
話を戻すが、私たちが見ているスマホの画面にワクワクはあるのだろうか?探しているものの本当の答えはあるのだろうか?
最近、自分の本当の好きを探す人や、自分に合った仕事を見つめる人が増えてきていると感じる。
私も、自分はどんな人になりたいのか、何が好きなのか、どんな仕事がしたいのか悩み、SNSで理想のライフスタイル探しをしたことがある。
その経験を踏まえて、先程の「SNSで探しているものの答えが見つかるか」の問いに答えると、答えはノーだ。
答えは見つからない。
見つからなかった。
なぜだろう。その理由を解明すると、自分探しでSNSをしていると、周りの人が素敵に思えて「私なんてダメだ」と思ってしまうから。
素敵な仕事をしている、素敵な彼と付き合っている、など感じてしまうのだ。私とあなたを比べてしまう。
私は私であって、誰かが作り上げる私に騙されないように
比べてばかりいたため、私自身、心で何を感じたのか、体が何を感じているのか、自分の感情に向き合うことが少なくなってしまった。その結果起こるのは「自分の感情がよく分からない」状態だ。
SNSに私たちが探しているものの答えはない。
それに、SNSが作り上げた「誰か」には誰もなることができない。
私は私であって、誰かが作り上げる私(そこに在るまやかし)に騙されないようにしたい。
自分の生き方は、自分が一番よく知っている。
何が好きで嫌いか、「選択」したいものも自分がよく知っている。
私はいつも答えは私たちの心の中にあると思う。
私は私だ。
SNSとの丁度いい距離感を見つけるには、時間がかかるかもしれない。
しかし、私たちは見つけなければならないと思う。
画面の中の「私」と、画面を見ている「私」、お互いが気持ちよく過ごせる、丁度いい距離感を。