「えぇ!女の子だったんだ~!」
大学1年生の冬、私はキャンパスで初めて顔を合わせた同級生からこんな言葉を投げかけられた。
これだけ見ると、初対面で随分と失礼だなと感じられるかもしれないが、特に不快には思わなかった。何ヶ月も前からTwitterでフォローし合っていたこともあって、既に人となりを把握できていたつもりだったし、悪意があるような印象も受けなかったからである。
彼女とはそれ以来、友人として10年の付き合いになる。
まともに友人を作れないかも…焦りがTwitterを始めさせた
晴れて大学生になった2011年の4月、東日本大震災の傷跡はまだ大きく残っていた。当時は社会全体として「絆」の大切さについて語られるような場面が少なくなかった。
そんな中で大学の授業開始時期の延期などのイレギュラーもあり、もともと人見知りで積極的に初対面の相手に絡んでいけるタイプではない私は、どうやって他の学生と親しくなっていけばいいのか苦悩する日々だった。
絆云々以前に、友人すらまともに作れないのではないか?
人に認めてもらえるような特技などを持ち合わせていなかったことも相まって、その自信のなさがさらに自分を焦らせた。
「会話する前に予め自分についてある程度知ってもらえていたら……」と考えて、Twitterを始めた。会話となると相手のリアクションやノリ、その他にもテンポや場の雰囲気によっては話したいことを話せないことが多い。一方で、Twitterなら思ったことや感じたことを好きなときに書けるし、喋りながら相手のリアクションを気にするような必要がないというのが魅力的だった。
まず所属しているサークル名で検索をかけて、ヒットしたアカウントをひたすらフォローした。学年あたり50名以上在籍している中で仲の良い友人と呼べる学生は片手で数えられるほどしかいなかった。ほぼ幽霊部員のような存在だったため、ただ「Twitterにいる謎の人」のように思われていたかもしれない。
1日100ツイートで「Twitterの人」。何もないよりはましだった
ほとんどの部員は私のことをTwitterで先に知るので、いわゆる華やかな女子大生のイメージとはかけ離れたツイートをしていた私のアカウントが男性のものと間違えられるのも不思議なことではなかった。
冒頭でも書いたように、実際に性別を間違えられていたことは何度かあった。Twitter上では「こう在りたい自分像」も織り交ぜて振舞っていたため、実際に知り合ってみるとTwitterとのギャップがあり、それが返って面白いらしく次第に仲良く話せる友人は増えていった。
Twitterによるキャラ付けはそれなりに成功した。そしてさらにTwitterの更新頻度は増えていった。
1日に100ツイートは当たり前になったし、フォロワーがツイートをすれば3秒以内に「お気に入り」(今は機能名が「いいね」に変わっている)で反応した。
暇なときは常にTwitterを開いていた。「Twitterの人」という、とても名誉とは言い難いアイデンティティでも、私にとっては何もないよりマシだった。
SNSは閉ざされた空間ではなかった。助けを求めるのも悪くない
「いいね」も「リプライ」も所詮ネット上だけの何も生み出さない空虚なやりとりだという意見をしばしば目にする。
確かに、Twitterをしていた時間を例えば楽器の練習にでも充てていれば、何かしら身になっていたのかもしれない。それでも、もしTwitterを始めていなかったら、学生時代からもう10年の付き合いにもなる今の友人たちと親しくなることもなかっただろう。
そんな私も30歳目前まできて、人間関係はそこそこ落ち着いた。今となってはTwitter依存も過去の話となっているが、それでもまた新たなコミュニティに飛び込む必要に迫られれば、Twitterに限らず何らかのSNSに頼ることになると確信している。
SNSは閉ざされたインターネット空間などではなく、現実世界と地続きなのだ。今いる現実世界を生きづらいと感じるならば、SNSに助けを求めるのは決して悪いことではないと思う。
その向こうでまた、現実世界での自分の居場所を見つけられる可能性があるからだ。