「いつか君の通った大学を見に行きたいな」
社会人になってから知り合った夫は、そう言う。そのたびに「それなら、大学の学園祭のときがいいかな。私の入っていた演劇サークルも公演をやってるだろうし」と思う。
そしてそれから、あの演劇サークルのことを考えると、どうしても思い出してしまう、大学時代の怒れなかったあの日のことを考える。
1年生の言い分に、言いたいことを押し込め、同期と話すことに
あれは大学3年の秋ごろだったか。演劇の本番を間近にしていたある日の昼休み、サークルメンバー全員が打ち合わせのために集まっていた。
全員といっても、小さなサークルで、4年は既に引退し、3年と2年がそれぞれ5人もいかない程度、そして1年が多くて10人程度いて、サークルの半分は1年だった。その1年の1人が、打ち合わせの中で、急に泣き出してしまった。
泣きながら話す言い分によれば、本番が近づいてきたことによるサークルメンバーのピリピリした雰囲気が怖くて、嫌だから、どうにかしてほしいということのようだった。
それに同意だった1年がもう1人泣き出した。最高学年で同期の他の3年は何も言わなかった。
「何を言い出しているんだ、本番間近なんて、多少ピリピリするくらい当然だ」
そんな思いを押し込めて、私は泣いている1年の2人にほほ笑んだ。「ここで解決できる話じゃないと思うから、ちょっと3年で話をする時間がほしい」。
これは2人のためみたいに笑ったけれど、本当はこのとき何も言わなかった同期の友人が何を考えているのか知りたかった。
このあと、同期の友人で集まって話をした。友人たちも私と同じように、本番が近くなれば、真剣にやっているぶん、ピリピリするのは当然だ、という考えだったが、私以上に泣き出した後輩に対して苛立っている様子だった。
そんな友人たちに「この本音を言ったら、状況は悪化するだけだろうから、言わない方がいいと思う」という内容のことを言った。そして、翌日の放課後にサークルの全員で集まり、この問題について話をすることになった。
泣きだした後輩をなだめ、部屋に戻ると、話し合いは解決していた
「こっちは真剣にやってんだよ!」
翌日の話し合いで、同期の友人が、後輩の言い分に怒りを隠すことができず、そう言ったことを覚えている。友人は本音を隠した方がいいと言っていた私に対して、一言「ごめん」と言った。そんな中で、私だけは本音を隠さなければ、私だけは感情的にならず、中立を装わなければ、と必死だった。
それから、後輩の1人が泣き出してその部屋を飛び出した。同期の友人に頼まれて、私はその後輩を追いかけた。泣きながら、不満をこぼす後輩の言葉を、ただひたすら聞いた。
話がひと段落したとき、私は話し合いをしていた部屋に戻った。すると、私が出て行ったときとは部屋の雰囲気が明らかに違っていた。「なんか、解決した」と同期の友人が言った。
後日、話を聞いたところ、全員がそれぞれの意見を言って、それですっきりして、この騒動は終わったらしい。ひとり、本音を隠したまま、全員の不満に対する解決方法に頭を回していた私には、衝撃的なほど簡単な終わりだった。
結局のところ、あのときの私の本音を、後輩たちは知らないままだ。あのとき、雰囲気が怖いと言い出したことよりも、それを上級生の問題であるかのように持ち出したことが気に入らなかった。
指導者がいる訳でもない、人数も少ない、学生だけのサークルだ。まして、サークルメンバーの半分は1年生なのだ。1年で話をして、1年から雰囲気を変えていくこともできたのではないか。
怒りという感情に振り回されず、問題の解決を考える自分が好きだ
衝撃的な簡単解決が信じられなかった私は、ひとりで全員の言葉や態度から不満の内容と対策を考えて紙にまとめた。このとき作った紙の内容は、そのまま活用されることなく、私の日記帳に残っている。その紙と同じように、私のこの騒動に対する苛立ちも、私の中に残ったままだ。
大学を卒業してからも、後輩の演劇公演を見るたびに、このときの苛立ちを思い出し、演劇を楽しむことができない。あのとき、私も、自分の気持ちを素直に言えていたらよかったのだろうか。
振り返れば、こんなことは人生に何度もある。「怒ってよかったんだ」と、後になってから気が付き、そのときにはもう、今更になって怒れず、苛立ちの行き場がなくなっている。
たぶん、これは私の性分で、改めることは難しいだろう。きっとこれからも、「怒れなかった行き場のない苛立ち」は私の中に残っていくだろう。
なんだかんだで、そんな自分が嫌いではないのだ。怒りという感情に振り回されるより、その問題の解決を考える、そんな自分がわりと好きだ。
「そんな君がいるから、組織がうまく回ることがあるんだよ」
大学時代から持ってきたままの苛立ちを聞いた夫はそう言った。
こうしてこんな私を認めてくれる人もいるのだから、私はきっと、このままの私で生きていく。