会社帰り、電車に揺られていた時。
30代前半だろうか。
女性がスマートフォンに釘付けになっていた。
彼女が行っていたのは、加工アプリで自分の顔を修正する作業だった。
髪を一本書き足しては画面に映る自分の顔を眺め、また書き足しては調整し……。
それが終わると肌の色を調節し始めた。
実際よりきめ細かく色白になったところで、やっとインスタグラムにアップ。
少なく見積もっても5分以上行っていた。
小細工なんてしなくても、生まれた瞬間から人生で使える運の半分以上使っているのではないかと嫉妬するような美人がである。
SNS上の美に没頭する彼女を、冷ややかに見るSNSバージンの私
この状況を何も知らない人が見れば、その写真は日常を何気なく切り取ったもののように見えるだろう。
写真一枚にここまでの手間と時間をかけられる彼女に、私は冷ややかな視線を向けていた。
なぜなら、彼女がその作業に没頭していた場所は優先席で、おまけに満員電車にもかかわらず、脚を組んでだらしのない格好で座っていたからだ。
SNSの中に存在する自分の美より、まずは現実世界の自分の姿勢や美意識をなんとかしたらいかがなものか。
見知らぬ美人に憤ってしまった。
他人様のスマートフォンの画面を長時間覗いている悪趣味極まりない私は、ツイッターもインスタグラムもフェイスブックもブログも、遡ってミクシィや前略などSNSをなにひとつやってこなかった。
この「かがみよかがみ」で、ネット上で初めて自分の考えを発信している令和の時代を生きるSNSバージンの人妻である。
「SNSを一切やっていない」と言うと反応は十人十色だ。
「今時珍しいね……」とちょっと引き気味の人や「ネットにキラキラした写真とかあげなくても満足できてるって、本当に幸せってことだよね」という嬉しい言葉を頂いたこともある。
私がSNSとの距離を詰めずに生きてきたのには、理由がある
ある時、高校時代からの友人と話していて、
「アカウントも持ってないんだよね?」
「持ってないよ。でもツイッター検索して見たりするよ」
「玲もツイッター見たりするんだ!そういうの興味ないんだと思ってた」
と言われた。そうなのである。
SNSをやっていないと伝えると当然のように興味がないからだと思われる。
でも私がSNSとの距離を詰めずに生きてきたのにはふたつ理由がある。
ひとつは「自分の本性が晒されるのが嫌だから」。
もし私がSNSをやったら、きっとアップするためだけに映える場所へ出向き、綺麗な写真を撮りまくる。
チョコレートが何より好きなのに、ガトーショコラよりショートケーキの方が可愛いから、といった理由で自分の好みすら殺してしまう気がする。
ツイッターだって、偉人の名言やどこかの国の詩人が言ったロマンチックな台詞で溢れそうである。
他人の評価に疲れている私は、プライベートの心はすっぴんでいたい
もうひとつの理由は「他人から評価されることに疲れているから」。
学校では成績を、部活では運動神経を、職場では仕事を、恋愛では容姿や性格……。
私たちはどこにいても常に他人から評価されて生きている。
それでモチベーションがあがることもある。
たとえば出かける時、私は誰と会うかで洋服もメイクもテイストを変える。
それは「可愛いね」「似合うね」と褒められたいからで、間違いなく他人からの評価を期待している。
けれどもひとりで町へ繰り出す時は服もどうでもいいし、すっぴんで平気で電車に乗る。
それは他人からの評価を気にしなくていいからだ。
そんな風に自分を偽って着飾った上、他人からの評価に怯える自分の姿がありありと見えてしまうから、私はSNSができない。
プライベートの心はすっぴんでいたいのだ。
先日、ふと本音を20代前半の女性美容師にこぼしてみたところ。
「SNSはそれが面白いんじゃないですか。だからどんどんキラキラした写真載せていきましょうよ!」とあっけらからんと笑った。
これが噂のZ世代か。
その開き直り方もいいなと思いながら、心のすっぴんを守り続けるために私のSNS処女はまだこれからしばらく続きそうだ。