私は中学1年の時から自分の携帯電話というものを買ってもらって、そこから17年間ほど、変化はありつつもSNSはずっと利用している。

SNSで人と比較したり、不安や嫉妬を感じたり。距離感が掴めない

去年くらいから私の中で「SNS疲れ」というものが認識できるようになってきていて、SNSで楽しい時もあれば、人と自分を比較してしんどくなったり、不安になったり、嫉妬したり。SNSとの距離感が全く上手く掴めていないときがあった。
好きなはずな人の投稿でさえ、嫌な気分になってしまったり。
逆に好きでもないけれど、ただ地元の同級生というだけでフォローし合っていて、会ったり、話したりすることはないけど、お互いの近況はなんとなくSNSで把握している……みたいな人たちの投稿を惰性で見続けたり。

そんなことを当たり前にずっと続けていたから、そこに疑問を持つこともなかったのだが、SNSを使ったコミュニティーに参加したのがきっかけで、特に他の人との比較や嫉妬が私の中から湧き出て、「これはいよいよSNSとの距離感を自分でしっかり見つけないといけない」と思ったのだ。

私の中でルールを決めて、持っていた2つのアカウントの役割を分割

それからはアカウントを元々2つもっていたが、完全プライベートのアカウントのほうは見る専門にして、本当に自分が見ていてワクッとしたり、癒されたり、いい気分になるものだけを集めた。
地元の同級生のフォローはほとんど外し、前はときめいていたけど、今は見ていても楽しいと思わなくなった人のものはフォローを外していった。
もう一つのコミュニティー関係のアカウントは発信のみ!としっかり私の中でルールを決めた。
私の中で発信することは続けていきたいことだから、そのアカウントを消したりはせず、私が発信するためだけのアカウント!と割り切ることにしたのだ。

そのアカウントでも、友達や好きな人をフォローしているが、フォローしている人達の発信を全て受け身で見るのではなく、ごくたまに「あの人どうしてるかな」と気になった時だけその人のページまで飛んで、その人の発信だけを見るようにしている。
プライベートアカウントでフォローをしている人達は、「私が見ていても嫉妬や比較や劣等感が湧かない」というのがフォローを残す判断基準になった。

あくまでも、日常を彩るための一つのツールとして

SNSの私なりの距離の取り方や私が楽しめるSNSの使い方を決めてからは、SNSを見ていて疲れることがほとんどなくなったし、「何でも情報とらなきゃ!」っていう焦りも自然と減っていった。
実際にコミュニティー関係のアカウントを発信専門にしても全く困ったことが起きていないからだ。
必要な情報が自然と入ってきたり、気になって見にいったら今の自分に必要な情報が目に飛び込んできたりする。
こういうちょっと動物的な感覚を取り戻すことも、この情報が溢れた世界で情報に溺れず、情報に踊らされずに楽しく自分らしく生きていくために必要なことなのかもしれないと思った。
あとは不安や欠乏感から情報を集めたり、取りに行かないようにも意識している。
目に見えている情報を信じすぎない。自分の感覚や、自分の経験や体感を信用するということもこれからの時代すごく重要になっていくような気がする。

恐れすぎず、でも依存しすぎず。
あくまでも、私の日常を楽しく彩るための一つのツールとして、活用していきたい。