SNSが苦手だ。
「誰とも繋がっていない情報収集のためのアカウントしか持ってない」と言うと、理由を訊かれることがたまにある。不特定多数の誰かに向けて、自分の日常や思想を発信することは、現代において、私が思っている以上に普遍的なことらしい。
発信するツールとしてSNSを利用しない理由は、単純にSNSを通して自分を解釈されることに抵抗があるからである。
大好きなものをSNSに載せた途端、色褪せてしまうような気がした
高校生の頃は、周りがみんなしているからという理由でSNSを活用していた。友達との写真やプリクラをアップして、決められた文字数の中で日常を綴る。同級生や地元の友達とフォローし合い、気になる男の子からフォローが返ってきてひそかに喜んだりもした。
そんな中で、自分の投稿を見返すうち「これを見た人たちは自分にどういう印象を抱くのだろう」ということが気になるようになった。SNSに並ぶ言葉や写真たちは、受け手によって拡大したり、縮小したりして解釈される。自分の伝えたいことを、伝えたい温度と熱量で、正確に受け取ってもらうことは難しい。
気軽に利用できるのがSNSの利点だったはずなのに、他人の視線を意識するあまり「こう思われたらどうしよう」「こう受け取られたら嫌だな」と思うことが増えて、何も書けなくなってしまった。
“他人から見た自分像にさほど興味がない”か、逆に“他人に見せたい自分像がはっきりしている”のどちらかでないと、SNSを楽しむことは難しいのではないかと思う。私は後者で躓いた。“他人に見せたい自分像”が上手に表現できなかったのだ。
他人から「こう見られたい」「こんな人間だと思われたい」という欲求がないわけではない。むしろ、そういった欲求はおそらく人一倍強い方で、だからこそSNSを通して、たかが写真一枚・数行の文章で自分という人間を解釈されることがたまらなく嫌だったのだ。幸も不幸も好悪も、ほんとうに理解されたいことは、何一つSNSじゃ表現しきれない。
追いかけているアイドル、シーズン毎に買っているブランドのお洋服、読みかけの本のタイトル。私の世界をキラキラ色づける、大好きなものたち。そのどれもが、SNSに載せた途端、自分を語るための装飾品になって、すべて色褪せて見えてしまうような気がした。
高校を卒業すると同時に、アカウントを消した。SNSというツールにストレスを感じていた。日常を“自分を表現するため”に使いたくなかった。
SNSから離れて過ごす生活は気楽だけど、一方で「寂しさ」もあった
SNSから離れて過ごす大学時代は気楽だったけど、一方で世間から切り離されたような寂しさもあった。つくづく、SNSがない世代の方たちの人間関係は、どうやって構築されていたのかと不思議に思う。
きちんと顔を合わせる時間があれば十分なはずなのに、SNS上で繋がってないというだけで、なんだか友達との関係が希薄になった気がする。一人、世間から浮いているような気持ちになる。実際、ネットニュースだけでは世の中の話題を拾い切れなくて、友達の話についていけないことが多々あった。
寂しさのあまり、あんなにストレスを感じていたくせに、もう一度アカウントを作ることで、世間の輪に属していたいという衝動に駆られる夜もあった。さすがに、思い止まったけれど。
世界は、情報に溢れすぎている。好きなアイドルの最新情報を追うのもむずかしくなったので、フォロワーも投稿数も0の鍵がついたアカウントを作った。芸能人やインフルエンサーの方のみをフォローすることにした。以降、そのアカウントをたまに覗く以外に、SNSは利用していない。
高校時代、SNSでやり取りをしていたほとんどの同級生とは、縁が切れた。近況を知る術がないから、みんなが今何をしているのか知らない。みんなも私の現在を知らないだろうし、なんなら存在ごと忘れられているかもしれない。SNSをしていないと、距離の離れた人間は存在の有無すらもあやふやになる。
仕方ないとわかっていても、SNSから離れた静かな場所で、それを寂しいと感じてしまうのは、少しずるいのだろうか。
私は社会人になってからもSNSを通して自分を見せるために使わない
社会人になった私は、好きな人と家族になった。プロポーズの特別な思い出を世界中に自慢したかったけど、発信する場所がない。結婚式の写真は、ゲストの方以外、誰に見せることもなく、スマホのフォルダの中に眠っている。たくさん褒めてもらったドレス姿を見てもらえないのは、ちょっとだけもったいないような気もする。
好きな人の好きなところは、SNSをしていないことだ。もちろん、それだけが彼の魅力ではないけれど、一緒にいると、SNSをしていなくても今の社会でなんとなく生きていけるということが感じられてうれしい。
日常を“自分を見せるため”に使わない。他人の視線を意識した写真を撮らない。友人の近況は、直接連絡を取り合ってたずねる。情報収集のためのアカウントを持っている私とは違って、ニュースに載らないような世間のトレンドは、ほとんど知らない。
そんな人と過ごす毎日は、穏やかで温かくて、そしてやっぱり世間から少しだけ遠い分寂しい…のかもしれない。