子供の頃はきっと、大人になれば私も分かる、と思っていた。
私は母の影響で、ユーミンの曲が大好きだった。保育園への送り迎えの車で毎日カセットを聞いていたから自然な流れと言えるだろう。
あの歌のように、恋人ができて、プレゼントをもらうのだと思っていた
収録された曲の中でも、特に不思議な曲があった。「恋人がサンタクロース」だ。
サンタはいないと言う幼い曲の主体に、隣のお洒落なお姉さんは今夜、サンタクロースが家にやってくると言う。
恋人がサンタクロースだと繰り返すサビのおかげで、私も子供ながらに意味を理解していた。恋人をサンタと呼んでいたお隣のお姉さんのように、成長した主体は恋人ができ、クリスマスにプレゼントをもらうのだ。
私もきっと、大人になったら恋人ができて、プレゼントをもらうのだ。そう思っていた。
しかし現在、私に恋人はいない。当然、誰からもプレゼントはもらえない。
今年も私は12月25日を、12月24日と12月26日と同じように過ごすのだろう。
それは悲しいことだろうか?
まったくそうは思わない。
描く夢想に増す違和感。私は自分で自分のサンタになることを決めた
なぜなら私には、恋人が必要ないからだ。必要のないものがいないことを悲しむ必要など、ない!
私はまだ、世の中は男女の二人組を作らせたがっているように感じる。学生時代の「二人組作って」を嫌う人は多いのに。こと恋愛になると、男女の二人組が理想の形であるように、人は語りがちだと思うのだ。
もちろん私もそうだった。「恋人がサンタクロース」を聞きながら、ぼんやりと憧れていたのは、私と「背の高いサンタクロース」の二人の姿だ。けっして曲中で、恋人が男性であると明言されているわけでもないのに。
けれど年を重ねるごとに、その夢想に違和感が増すのだった。私のサンタは私より背が高い人でなければならないのか?
私は自分で自分のサンタになることを決めた。イルミネーションが光り、町ゆく人たちがクリスマスを意識しだす頃、恋人のためにプレゼントを選ぶように、自分のためのプレゼントを選ぶ。欲しいものを思い浮かべ、ネットで情報をサーチしながらどれにしようかと検討するのは贅沢で豊かな時間だ。
恋人がいなくても、サンタになれる。自分に、そして自分以外にも
さらに今年は、ブックサンタという取り組みにも参加しようと思っている。
ブックサンタは「厳しい状況に置かれている全国の子どもたちに本を届けること」を目的にしたプロジェクトだ。パートナー書店で本を購入し、そのまま寄付することができる。
取り組みを知ったときには衝撃が走った。未来のある子供に本を贈れるというのは、大人にとって幸せなことだと信じている。
もし選べるのなら、私は「お洒落なお姉さん」よりも、「背の高いサンタクロース」になりたい。今はそう思っている。
恋人がいなくても、サンタになることはできる。まずは自分に、余裕があれば自分以外に。プレゼントを選ぶ時間を大切にしながら、今私はクリスマスを迎えようとしている。外気は日に日に寒くなっていく。
私に恋人のサンタはいないけど、自分を好きな大人になったよ、と、子供の私に胸をはりたい。