夢見がちだった子供時代。「サンタクロース」をずっと信じていた

幼い頃、世界は魔法と謎にあふれていた。
おまじないの本や占いの本なんかが大好きで、消しゴムに気になる男の子の名前を書いて、ケースに入れて大事に持っていたあの子。みんなで一緒に、片っ端からおまじないを試したっけ。お化けを見たという友達の話を聞いて、近所を探し回ったこともあった。
子供は無力で無知だ。自分の力でコントロールできる物事は少なくて、世界は超自然的な力で支配されているように思えた。物語と現実の境界は曖昧で、目や耳に入ってくる情報は、常に物語の世界のフィルターを通して屈折していた。

そんな私が、小学生に上がってもしばらくサンタクロースの存在を信じていたのは無理もない。むしろサンタは、お化けや妖精などと比べても、群を抜いて現実感があった。
だって、実際に手元に“サンタからの贈り物”が存在しているのだ。
今思うと、家に煙突もない賃貸アパートにどうやってサンタがやってきているのか、なぜ平凡な一市民である母親が、サンタにプレゼントの希望を伝える術を持っているのかなど、不可解な点はいくらでもあった。
しかし、当時の私の目はそういった不都合なものを全てフィルターではじき、無意識に現実から身を守っていた。母親の方も、私や姉がサンタについて質問しても答えてくれなかったため、サンタは神秘的な存在であり続けた。

図書館で見つけたサンタの秘密。知りたくないけど、気になってしまう

小学校2年生の時だっただろうか。秋が深まるころ、学校の図書館で、「サンタクロースの秘密」と書かれた古ぼけた本を発見した。見つけた瞬間、新しいおまじないの本を手にしたときのように、私の胸は高鳴った。
「きっとサンタがこの田舎の学校に秘密を隠したんだ。これを読めば、みんなが知らないサンタの秘密を知れるぞ!」
呆れるほど夢見がちだった私は、毎日通ってこっそりと本を読んだ。家に持って帰るのは、頑なにサンタのことを話そうとしない母親の手前、なんとなく気が引けたからだ。

しかし、本の内容は、私が期待していたものとは違っていた。
サンタクロースの原形となるキャラクターが最初に登場した物語の話や、サンタの服の色の資本主義的な事情など。私の中で3次元的に実体を持っていたサンタは、本を読み進めるほどに平面的な本の中のものへと変化していったが、怖いもの見たさも手伝って、私は本を読むのをやめることができなかった。
私はこうして、周りの大人たちが守り続けてきた“サンタの秘密”の全てを知った。

「今年はサンタさんに何を頼むの?」
母親にそう聞かれたとき、私は答えに悩んだ。
「サンタさんなんかいないんでしょ。本当はお母さんなんでしょ。もう頑張らなくていいよ」

一瞬そんな答えが頭をよぎったが、口に出せなかった。これまで頑なに秘密を守ってきた母親の苦労に反して、勝手に真実を知ってしまったうしろめたさがあったのだ。
「ハリーポッターの本が欲しいな。サンタさんに伝えて!」
無邪気を装って、私はそう答えた。「伝えておくね」と、母親は笑った。

子どものころのフィルターで、サンタがいた頃の世界をもう一度…

大人になった私の世界には、サンタも妖精も魔法使いもいない。
仲良くしてみたい人がいれば、おまじないの本なんか開かずに知り合いのツテを探すし、家の中でおかしな音が聞こえたら、どこか壊れていないか一つ一つ確かめて、必要があれば修理を依頼する。何かを伝えるためにお化けが立てた音だなんて、子供みたいな発想が出てくることはない。
全てがロジカルに説明できて、単純明快だ。魔法の力を信じて祈ったりするよりも、だんぜん建設的である。

11月にもなると街のあちこちでイルミネーションが灯り、クリスマスソングが流れ始める。計画された都会のロマンチックなデートを楽しむ大人のクリスマスももちろん素敵だが、夢と期待に胸を膨らませてサンタを待っていた、子供のころのクリスマスの思い出を超えることはない。
もう一度、子供のころのフィルターを通して世界を見る事ができたらと、毎年この時期になると願わずにはいられないのだ。