男女交際のオファーをもらった。
20代最後の秋。相手は真面目そうな青年だ。
役者はそろった。恋の始まりだ。幸せなはずだ、が。

そんな純粋に物事は進まない。
あたしはおそらく女だが、人を好きになるのに男とか女とか考えたことがなく、他人の出身校や勤め先の名前が覚えられず、結婚願望というものにも実感がわかない、29歳、人間だ。

「女」として見られることが苦手なあたしは、「はあ」と曖昧に頷く

かわいらしく少しはにかんで「はい」と答えればいいところを、「はあ」と曖昧に頷くのが精一杯だった。
目を伏せながらこちらの反応を伺うような、照れた相手の表情を見るのが辛い。ここまでの楽しい関係をぶちこわす一言を、なぜお前は口にした。理不尽な怒りが湧いては沈み、深呼吸して心に必死で水をかける。

男の人から、「女」として見られることが苦手だと気付いたのは、最初の「恋愛」のときだった。
大好きな人に会えるのはドキドキして嬉しい。が、その人が急に言葉少なになり、無言のまま距離を縮めてきて、真剣な顔で身体を捕まえようとする。あたしがこの人と一緒にいたいと思うきっかけだったはずの、文学や人生の話は出てこない。休みを合わせて街を歩いていても、行きつく先は一つだ。
怖い気持ちを押し殺して、震える身体をごまかして、好きな人の願いに応えたくて頑張ったけど、結局恋人になりきれず、その人と友達になった。そうなって初めて、安心して楽しく話せるようになった。

「好き」と「付き合う」と「接触」はいつの間にかイコールに

そういう戸惑いをうまく伝えられなかったあたしも悪かったと思う。が、この恋について相談した友人たちの言葉はあたしをさらに戸惑わせた。
「無理することはないけど、でも……」
「少しは『努力』してあげないと」
「今時そんなに待ってくれる人はいないよ」
「彼はいい人」
「優しい」
「かわいそう」

でも……。
「努力」がいつ成果を出すのか、その答えをあたしは持てない。痛みを感じるのも、ここから人生が大きく変わってしまうかもしれないリスクがあるのもあたしの身体なのに、「好き」と「付き合う」と「接触」はいつの間にかイコールで結ばれていた。
気が進まないことを言うのが、好きな人を傷つけることにつながるなんて。あたしは、「彼女」として彼を幸せにしてあげられないのだろうか……。

手を握ろうとしてこなかったその子ともう少し、向き合ってみよう

傷つけるなら付き合わなくてもいいのに、いつか普通になれるかも、慣れれば嬉しく感じられるかも、本当に好きな人なら大丈夫かも、その後もあたしは戸惑いのままに、何度か頷いては別れた。

そして訪れた何度目かのオファー。あたしはまだ戸惑いのなかにいて、誰が好きだか、何がほしいのかわからないまま「はあ」と言って迎えた次のデートの日。
その子は少し早い誕生日祝いをしてくれて、あたしに沢山のプレゼントを選んでくれていた。「ありがとう。これが似合う人になるね」と言うのが精一杯だった。
試すように出かけたあたしの心はまだ、きれいなものじゃないけれど。
ディナーの帰り際、夜景の見える道を歩く。手を握ろうとはしてこなかった。その子ともう少し、向き合ってみようと思った。
安心して彼の隣にいられる日は来るのかな。わからないまま、もうすぐ日付が変われば、あたしは30歳になる。