昔の私は何かと理想が高く、過度に期待する癖があった。
こんなにしたのだから、お返しがあるはず。
きっと素晴らしいものがもらえるに違いない。

「自分勝手で、子どもじみた子ども」。今ならそう振り返ることができるけど、当時の私はとにかく暴走ばかりしていた。
いちばんいい例が、あの日のクリスマスだ。
優しさという仮面を被った自己中が爆発して、私自身も、家族のことも傷つけた。

ツリーにケーキ、朝にはプレゼント。当たり前に続くものと思っていた

当時中学2年生だった私にとって、クリスマスは一大イベントだった。
ピカピカ光るクリスマスツリーと、テーブルに並ぶ母の手作り料理とクリスマスケーキ。
クリスマスが近づくだけで気分は高揚し、あと何日と指折り数えては浮き立つ心を抱きしめながら過ごしたものだった。

家族みんなで食事を愉しみ、それぞれ用意していたプレゼントを交換し終えたら、あとは布団に潜ってサンタを待つ。
そうして目を覚ますと、枕元にはお決まりのプレゼント。
それが当たり前だと思っていた。
いつまでも続くものだと思っていた。

その年のクリスマスは、いつもとは違っていた。
単身赴任で他県にいた父は仕事で帰れず、母と私とふたりの妹で過ごすことになった。

ひとつ歳下の妹は吹奏楽部に所属していて、アンサンブルコンサートがクリスマスと重なっていたこともあり、私たちは演奏を聴くためにホールがある街へと出かけた。

妹の出番はかなり後半で、それまでに聴き続けた演奏に関しては、悪いとは思うけど惨憺たるものだったことを覚えている。
妹の出番も終わり、解放された気持ちでホールを出たのは20時も近い頃だったろうか。
風は雪とともに吹き荒れ、水分を多く含んだ雪はあちこちに水たまりを作っていた。寒さと疲れと空腹で回らない頭の中、ぐっしょりと濡れたつま先の感触だけがはっきりしていた。

誰も悪くないと分かっていたけど、やるせなさはどんどん膨らむ

「どこか入ろっか」
楽しげな街とは対照的に、重たげな空気が漂っていた私たちに向かって母はそう言った。
やっとの思いで入ったハンバーガーショップで、黙々と食べるハンバーガー。
窓から見えるイルミネーションも、アンサンブルコンサートもハンバーガーも、何もかもが憎たらしかった。
よりによってクリスマスにハンバーガー?
考え出すと涙が出そうになり、空腹を満たすことだけに意識を集中させた。
私だけがこんなどうしようもない気持ちになっているわけではないのだ。

誰も悪くない。
それは分かっていた。分かっていたけど、やるせなさは時間とともにどんどん膨らみ、帰りのバスの中で私はひとりむくれていた。

家に着き、母が作ったクリスマスケーキを食べたあとでプレゼントを交換し合った。
「グリコのおまけみたいなクリスマス」
そんな風に思った気がするけど、それ以上のことは忘れてしまった。
ただ、父がいてくれたらどんなによかっただろうと強く思ったことだけは覚えている。
家族みんなでクリスマスを過ごせていたら、こんな今は過ごしていなかっただろう、と。

それでも私にはとっておきの計画があった。
みんなが寝静まったあと、内緒で用意しておいたプレゼントをそれぞれの枕元に置いておくのだ。
きっとみんなびっくりして喜ぶだろうな。
しんとした寝室のなか、初めてサンタになった私はそんな光景を思い浮かべて、そっとプレゼントを置いた。

サプライズを用意した私に待ち受けていた、想定外の光景

翌朝、私を待ち受けていたのは想定外の光景だった。
私の枕元にだけ、何もないのだ。
ふたりの妹は思いがけないプレゼントに喜んでくれたけど、母は枕元のプレゼントを私へのプレゼントだと勘違いし、私によこした。
「違う、こんなはずじゃなかったのに!!」
言葉にしたら涙が止まらず、朝からしゃくりを上げて私は泣いた。

サプライズしたのだから、自分にもサプライズがある。
はなからそう信じて用意したプレゼント。
それは優しさを履き違えて生まれた、自分勝手で自己中なプレゼントだった。
事情を察した母と妹たちの申し訳なさそうな顔が、今でも忘れられない。

それでもあの出来事から学んだことは大きかった。
「本当の優しさって、なんだろう」
そんな風に考え始めるきっかけをくれたクリスマス。
そう思うと、いちばん大きなプレゼントをもらったのは私だったのかもしれない。

またいつか家族揃ってクリスマスを迎える日が来たときは、とっておきのプレゼントを用意していこう。
モノ以上に、もっともっと特別なプレゼントがあることを今の私は知っている。
「ごめんね」と「ありがとう」が入り混じったあの日のクリスマスの思い出が、私を少し優しくしてくれたのだ。