クリスマスは、わたしの誕生日。
わたしの誕生日は、クリスマス。
お決まりは、「プレゼントは、2つあるの?」と聞かれること
生まれた時からそうだから、誕生日を聞かれるたびに、「クリスマスなの?すごいね!」
「プレゼントは、2つあるの?」と聞かれるのが大体の決まり文句である。
「プレゼントが2つあったか?」という質問に対しての答えは、「ほとんど記憶にない。多分、あった」である。
サンタさんを信じていたような歳くらいまでは、枕元に2つあったような気がする。
たった1日だけ、小学生の時に、起きたらプレゼントが2つ置いてあった日を覚えている。
当時流行っていた、ローラーシューズと一輪車だった。
なぜ憶えているのかは、嬉しいという気持ちが強かったからだと思う。
しかし、そもそも運動神経が良いタイプでもなく、活発な性格でもなかったから、
「あ、向いてない」と思ったらすぐ練習するのも諦めてほとんど使わなかったような気がする。
ケーキは、イブにクリスマス用と25日に誕生日ケーキがあった。
クリスマスが誕生日だから嬉しさも2倍という出来事が、人とはちがう特別だと感じていたように思う。
わがままな要望を、文句を言いながらも聞いて叶えてくれた父
その嬉しさは、全て父の愛情によって成り立っていたのだと今では思う。
わたしの父は、厳しくもあり愛情のある人だった。
私のわがままな要望を文句を言いながらも聞いて叶えてくれる人だった。
父の愛情は、誕生日だから「どこかに外食しよう!何食べたい?」「サーティワンのアイスケーキ買ってきたよ」と、微かな記憶を辿ればそういう出来事に裏付けられてきたと思う。
たとえ、プレゼントを貰うような歳ではなくなっても、大学進学で故郷を離れた後も、「元気にしてるか」「お金はあるか」と電話をくれる人だった。
いつも心配をしていた。誰よりも私の健康と幸せを願っていたように思う。
そんな父は、昨年の2月に急死した。
代わり映えのない日常に投下された、忘れる事のない1日が出来てしまった。
朝起きてすぐ目に飛び込んだ携帯の大量の通知と着信が私に何か起きたことを知らせた。
私は、何の前触れもなく父という存在を失い、居場所を失ったように感じた。
当たり前に明日が来るわけではないと強く思った。
私の家庭は一般的にイメージされる家庭と少し在り方が違っていた。
父が夕食を作っていたし、働いていたし、ほぼ1人で二役を担っていた。
愛された記憶が点と点で結ばれて線になり、今の人生がある
だから、私は受け入れるのに時間がかかった。
そして優しいふりの人の想像力のなさが私の心を辛くさせた。
自分の心を守るのに必死に過ごしてきた。
自分で自分の機嫌を取ることができなくなって人の言葉で簡単に傷ついて毎日が必死な約2年間だった。
それは今も続いているかもしれない。
私は、今年で25歳になる。
父が亡くなって2度目のクリスマスで、誕生日。
もう2度とおめでとうという声は私に届かないし、「ケーキ買ってきたぞ。どこか食べに行くか」という優しさは、見つけられない。
でも、愛された記憶が点と点で結ばれて線になり、今の私の人生がある。
愛された記憶があるから、私はまたこの人生を強く生きていける。
私にとってのクリスマスは、誕生日であり、愛された記憶。
そして、どんな時も私にとってのサンタは父だったのだと思う。