クリスマスの思い出と聞いて、私にはパッと思い出す1日はとくにない。
そんなのは、あまりにも寂しいので、携帯にある写真フォルダーを開いてみる。
自分が楽しむためのクリスマスというよりも、人のために過ごした日の方が印象に残っている。

強豪の部活のマネージャーになり、忙しくクリスマスを過ごした

中学生の頃は、吹奏楽部に所属していたので近くの老人ホームに演奏会に行っていた。
クリスマスシーズンは演奏の練習に励んでいた。
ある年の練習で、本番の前日に急遽変更が生じ、私は数時間の練習で本番を迎えることとなった。
本番でも先輩にアシストしてもらい、なんとか乗り切ったが、完璧主義の私は全然満足していなかったし、嫌な思い出としていまだに記憶している。
その頃は自分のことでいっぱいいっぱいになっていたから気づけなかったが、人のために何か出来ることへの喜びを今では感じることができる。むしろ、クリスマスだから出来たことなのだ、とすら思う。

高校生になり、吹奏楽に飽きを感じていた私は、何を考えたのか強豪と呼ばれていた部活のマネージャーになった。どこの部活よりも活動時間が長い。そして、冬には最も厳しいとされている合宿がある。マネージャーは、宿泊せずに毎日早起きをして通った。クリスマスという概念はなく、ただただ忙しく過ごすクリスマスが続いた。

洋菓子店で迎えたクリスマス。スタッフ全員出勤で必死だった

そんな自分のことを考えずに忙しさを選んできた私だったのだが、高校3年生の時、何故か家が燃えた。学校から帰ってきたら家がなかった。
いままでの思い出たちが全て灰になった跡だけが残っていた。
今では、笑い話として軽々しく話しているが、放火だった。
一瞬で家をなくした我が家族は、人生で初めてのアパート暮らしをした。
部活も引退し、クリスマスを家でゆっくりと過ごせる日の景色は慣れないアパートだった。
そんな夜のことも、いまでは写真フォルダーを見返さなければ忘れていた記憶である。

大学生になった私は、初めてのバイトをする。それが、洋菓子店だ。
オープニングで働きたかっただけなので、それ以外のことは考えていなかった。

そのお店で迎える初めてのクリスマスは、スタッフ全員出勤、みんな必死だった。
あまりの忙しさに不本意ながらケーキをいくつも潰してしまい、自分で買うことがスタッフ間では流行っていた。
翌年からはだいぶ慣れてきていたが、相変わらずスタッフは全員出勤していたし、次々に商品が完売していくほどに列は途切れなかった。

クリスマスだからこそ出来たと感じた思い出がたくさんある

そんな人気ぶりにも嫌気が差していたが、毎年2人の社員はバイトの私たちにクリスマスプレゼントを自腹で用意してくれていた。気づけば、そこで3回もクリスマスを迎えていたし、充実した部活のような感覚で楽しんでいた。

クリスマスだから特別だということも、私にはないのだけれど、クリスマスだからこそ出来たと感じた思い出がたくさんある。だから、ここにこれからも文章として残しておこうと思う。

これからも充実したクリスマスが過ごすことができますように。