クリスマスが憂鬱になったのはいつからだろう。
サンタさんを信じている頃はよかった。
大きなチキンに、サンタとトナカイの乗ったケーキ、大人の香りがするシャンメリー、トイザらスの包装紙を開けると魔法少女に変身できるプレゼント、特別で、1年で誕生日の次に好きな日だった。
婚姻届1枚で一生幸せになれるなら。そんなお安い切符はない
だがしかし。
大人になった私にとっては町中を流れるジングルベルも、この浮かれた雰囲気も癪に触る。
こんな私になってサンタクロースに申し訳ない、「サンタさんありがとう」とクレヨンで嬉々として描いていたかわいい子はもういない、クリスマスは忌まわしき1日になってしまった。
25過ぎると行き遅れ。それは昭和の時代に囁かれたジンクス。
クリスマスの25日を過ぎると皆が予約し並んで買っていたケーキが急に「3割引」、ゆくゆくは「半額」と投げ売られるのを、女性の結婚と年齢と掛けているのだ。
私は今27歳で恋人もいなければ、結婚への憧れというのもない。
クリスマスケーキに例えるならば「3割引」のシールから「半額」シールに張り替えられる間際だろうか。それとも廃棄処分される頃だろうか。
けれど自分のことを不幸だとは思わない。
「半額」シール上等、「廃棄処分」上等である。
結婚が全ての幸せではない。
結婚したからといって今後死ぬまで絶対に幸せという保証書を貰えるならば、私も重い腰をあげて結構相談所に通いそこそこの顔でちゃんと働いている人ととっとと籍を入れる。婚姻届という紙切れ1枚だすだけで一生幸せになるのならば、そんなお安い切符ないではないか。
サンタさんを信じている頃は美味しかったケンタッキーも、今では
だが結婚したからといって100%幸せになるわけではない。
ワイドショーは定期的に芸能人や政治家の不倫や離婚を報じているし、私の両親を見ていると結婚というのはそんなに幸せなことではなく、むしろどちらかの家に縛り付けられる呪いの儀式のように思えた。
でも世間は結婚していない人を不幸と決めつけて、見下す。
クリスマスソングに苛立ちながらコンビニでダイエットの為こんにゃくとしらたきだけのおでんを持って帰路につくと電話が鳴る。
「クリスマスだけれどあんた彼氏はいないの?」
通話口から響く母親の金切り声には目眩がする。
「彼氏はいないし、24も25も仕事だよ」
「ケンタッキー買うから食べに来たら」
サンタさんを信じている頃は美味しかったな、ケンタッキー。被りついた時のあの塩気と歯に刺さる肉の厚みは贅沢で特別で、じんわり口の中に広がる肉汁の温かさに思わず顔がほころびた。
でも25を過ぎた頃からどうも胸焼けしてしまうのは、年齢のせいではなく、クリスマスに帰る実家でくどくどと「彼氏はいないの」「25過ぎて男とクリスマスを過ごさないなんて不幸」「そろそろ孫の顔を見せなさい。近所の○○ちゃんはあんたより年下なのにもう赤ちゃん産んだのに!」「同級生の??ちゃんは今もうお腹大きいのよ。旦那さんはいないらしいけれどあんたよりはよっぽど偉いわ」と、口撃を喰らいながら食べるせいだろう。
もしそれに反論すると「負け犬の遠吠え」と一蹴される。
私は自分を不幸とは思わないけれど、不幸と決めつけられると不幸という気がしてしまう。
それならもう帰らなければいい。嘘でも「彼氏とデートだから帰れないの。相手は区役所づとめの公務員で櫻井翔に似たイケメンなの。銀座でディナーしてイルミネーションを見に行くの」なんて言えば、結婚至上主義者の家族も納得するし、鼻血を出して興奮するだろう。
来年のクリスマスは結婚していなくても、昔のように過ごせるだろうか
でも私は、のこのこと今年も実家行きの電車に仕事帰り乗り換えるんだろう。
サンタクロースを信じていた頃から変わらないテーブルに並ぶケンタッキーを食べに帰るんだろう。
優しすぎる、と思うけれど、子供が独り身でいる、結婚して子供を持ち家庭を守ることが幸せの基準になっている世界で、その基準に準じれていないのを案じる気持ちもわかるから。
クリスマスを乗り切ったとしても、今度は正月も来る。お年玉が楽しみで、集まる親戚と双六やカルタで遊ぶのを心待ちにしていた頃はいずこ。年下のいとこが結婚した話題や妊娠した話題で、火炙りにされるのが目に見えている。
来年のクリスマスは結婚していなくてもサンタクロースを信じていた頃のように過ごせるだろうか。
クリスマスが憂鬱じゃない世界はいつくるのだろうか。
来るのではなく私が作らなきゃ、はじまらないか。
世間が求める幸せについて言及されても怒らず、顔色変えず、そっと口角を上げてみよう。
彼氏もいなければ結婚への憧れも予定もないけれど。口角を上げた分だけケーキの賞味期限は延びるだろう。25を過ぎてもケーキは甘く舌の上でとろけておいしい。