2021年12月。私は今、日本の実家でゆっくりとした時間を過ごしている。
11月から通いはじめたスポーツジムのおかげでどんどん体は引き締まってきているし、趣味の御朱印集めを再開して月に一度はどこかの神社仏閣を巡り、会いたいなと思った人には会いに行くようにしている。
おかげで体調を崩して何ヶ月も真っ白だった私の2021年のスケジュール帳は、ここ数ヶ月にかけてたくさんの予定で埋めまるようになった。
音楽に捧げた10年間を色で例えるならば、白と黒に支配された世界
今年の6月に掲載された、占いについてのエッセイでは、占いなんて信じない、と言っていたけれど、なんとなく当たっていたこともあったのかな、と最近は思うようになった。
それは「私の人生は10年周期で回っていて、2021年から新しい10年周期が始まる」というものだった。
占い師は「2020年の年末にその10年の予定を立てれば思い通りに進む」と大雑把な鑑定をして外れていたけれど、その「10年周期」というのはあながち外れてはいなかったのではないかと思う。
というのも、私の人生を大雑把に分けると16歳から26歳までが、音楽に捧げた10年間だったように思えたからだ。
クラシック音楽に特化した専攻生として高校に進学し、それから浪人、大学進学、そして留学と進む26歳までの10年間を色で例えるならば、それは白と黒の世界だった。
白い紙の上に印刷された黒い音符。黒い木の上についたシルバーのキー。黒い舞台衣装を着て、白と黒の楽譜に向かい合う。緊張と歓喜の時間。
私はいつも白と黒に支配された世界で、ずっと自分の色を探していた。それが2021年に入ってからは、怒涛のように様々な変化が私のところへやってきた。それは去年の年末の私には、想像もし得ない未来だった。
2022年はどんな色のついた日々を送れるのか、自分でも楽しみ
「2021年の私の宣言」で書いたエッセイを読み返してみると、無邪気に音楽家になることを夢見ていて、少し切なくなる。
2021年の間に私は病気になって、「音楽家になる」という夢を一時的に諦めてしまっている。一時的に、というのは今後体調が戻った時の精神状態がどうなるかわからないので、決断はずっと保留しているからだ。
けれど現状を変えたいと思って始めた就職活動では、まだどこも決まっていないのだけれど、将来に期待を持てるような気配がある。生きていれば、きっと人生はどうとでもなる。それに楽器を学んでいることで諦めていた様々なことを、今は普通に楽しく満喫できていることが本当に嬉しい。
長年思い描いていた夢を手放すことはとても悲しいことだけれど、どんな経験も私の人生の糧になると信じて歩んでいきたい。
先日、2022年の日記帳を買った。夢を追いかけていた去年までは、自分が思い描いていたものを辿るような感覚があったけれど、来年は思い描くものが全くない。だからどんな色のついた日々を送ることができるのか、自分でも楽しみでしょうがない。
もし就活がうまくいかなかったとしても、どこかでアルバイトでもしようかと思っているし、もしかしたらどこかで思いつかないような素敵な縁に巡り合うかもしれない。
周りの色鮮やかな風景を目一杯楽しめるような、そんな一年間にしたい
今年の上半期はあまりにも急激な変化に、まるで何色もの色の絵の具でできた川に流されながら溺れそうになっているようだった。けれど、今はそれを楽しむ余裕ができている。
ジムに行き始めてから目に見えて体が引き締まってきて、軽く動かせるようになった。だから少し穏やかになった川の中で、得意の平泳ぎで流されながら、色鮮やかな周りの風景を楽しんでいるようだ。
2022年の私の宣言は、「人生を目一杯に楽しむこと」。自分の幸せを誰かにも分けられるような、小さな幸せでも存分に喜べるような、不運がやってきても笑って跳ね除けられるような、そんな1年間にしていきたい。