ある満月の日。散歩中にえみちゃんは「置かれた場所で咲いちゃだめ」と早口でいった。
「確かに選べない境遇ってあるけど、自分を誰かに置かせない。咲く場所は、自分で納得して決める。『置かれた感』は無くしたい。私は自分できれいに咲けるようにしたいから」
私たちのような人間は、色々な理由で「選択肢を奪われて」きた。他の誰でもなくえみちゃんがこれを言ったことは、希望みたいに思えた。

SNSでピンときた彼女に初めて会ったときに感じた「かっこよさ」

同じ病気のえみちゃんと出会ったのは1つのツイートがきっかけだった。
「相互フォローの人で私に会ってみたい人っているかな?。(女の子限定で)DMください」
ピンときて、女子であることに珍しく感謝しながら、すぐにDMを送った。SNS上の人に実際会うのは気が引けるが、どうしても会うチャンスを逃したくなかった。
私はその頃、突然の思わぬ病気で入院していた。退院できるかぎりぎりのところで、えみちゃんとの約束は決まった。

無事退院し、当日は3週間ぶりにメイクした。ワンピースを着て、アクセサリーをつけて待ち合わせ場所に向かった。
はっきりした意志を感じる美人で、きらびやかな服装のえみちゃんに、ずいぶんびっくりした。

その顔立ちはえみちゃんを体現しているようだった。
珍しいほどの努力家で、共感するばかりのツイート。いつも見てるだけで、いいねをつける私と、実際表現するえみちゃんはレベルが違う。実際もそのとおりの人だった。
精神の病気をしたのにすごい、という言い方は憐憫のようで嫌いだ。でも私たちはやっぱり、病気によって制約されざるを得ない。

働くのは難しい。身の回りのことも一苦労だ。子どもなんて産めるだろうか。せめて恋愛や、結婚できる人は……。
今は穏やかな日々を過ごせているが、それが続くと断定できない。常に頭に病気のことがあるが、それでも諦めず「なりたい自分に」と努力するえみちゃんは、かっこいい。

彼女がうちにいるのが日常に。人にご飯を作ることで、回復していく私

会って、話し始めたら驚くほど親近感があった。友人には気後れして決して話せないエピソードが、すらすら話せるのだった。
病み上がりであることも忘れて夢中で話した。近くに住んでいることが判明し、すぐにまた会おうね、と言ってその日は別れた。
安堵とちょっとした興奮のなか、帰路についた。夜空が澄んで見えた。

それからほどなくして、えみちゃんは一人暮らしのアパートで、隣人トラブルに巻き込まれた。警察にも相談に行き、「すぐにでも引っ越しを、それまではDVシェルターに」と提案されたそうだ。

大変だ。近所の私は「もしよかったらうちに泊まってもいいからね」と連絡した。
そしたら本当に泊まりに来ることになった。
シェルターは施設柄、行動制限がきつく、働いているえみちゃんが入所するのは難しかったからだ。具合が悪いわけでもないのに、無収入になるのは避けたい、という事情もあった。駅まで迎えに行った。会うのは、2回目だった。えみちゃんは切羽詰まった顔をしていたが、1時間後には修学旅行の一番楽しい時間みたいなときを過ごした。お互いの睡眠の問題も忘れて。

働きに行く彼女を送り出し、夕飯を作って帰りを待つ。しばらくこれが日常になる。
えみちゃんは他人には振る舞ったことがない私の料理を、「おいしい、全部おいしい、どうやって作ったの?、料理うまいね」と喜んで食べてくれた。
心身ぼろぼろだった私はすごく嬉しかった。人にご飯を作ってあげることで、自分も回復したみたいだった。一人だったらきっとできなかった。

普通の友人とは違う関わりができる彼女は、助け合える戦友だ

毎日夜はえみちゃんといろんなことを話した。
幼い時からの親からの過干渉、虐げ。希望の進路に進めなかったこと。辛くて今でも口にできない出来事への対処について。閉鎖病棟にいたときの話。回復したきっかけ。
えみちゃんと私は「ピア(似た経験をした仲間)」になった。毎食後は声をかけあい服薬する。疲れたら断ってすぐ休む。無理して社交的にならなくていい。なかなか「普通の」友人とはしない安心できる関わりだった。

今よりもっと若い時に、大変なことがたくさんあった私たちにとって、その話し合いは自分なりの解答を分かち合うことであり、お互いのヒントになる時間だったと思う。
えみちゃんは「辛い経験から湧き出る葛藤こそが、私たちを駆り立てる原動力じゃない?」と言う。自分の経験を嫌っている私は、なぜそこまで昇華できるのだろうと、いまだ不思議に思うのだった。

私たちは、貴重といわれる20代の時間を病気で閉ざされ、楽しい思い出は少ない。
でも、これから生まれなおしていくし、たくさんの選択肢から選びたい。自分で選んできれいに咲くんだ。

これまで孤独に闘ってきた私は、SNSによって助け合える戦友を得た。
長年付き合ってるみたいにうまくいったのは、境遇の類似と、えみちゃんの気遣いと素直さ、普段からツイートを見て共感していたからだ。
お互いに困っているところを補い合えた経験は、失った楽しい時間の埋め合わせ。これからも強く心に残るはずだ。
結局2週間をうちで暮らしたえみちゃんは、私の家のすぐ近くでアパートを借りている。