鍵を開ける。
ただいま。おかえり。
いつもと同じように、暖かい部屋と夕飯の柔らかい匂いにつられ、急いでマスクを外し、手洗いうがいをする。
お茶とご飯をつぎ、机の定位置に並べる。
いただきます。
今日あった、なんのオチもない話をつらつらと両親と語らい、味噌汁が胃にじわりと染み渡る。
ごちそうさま、と言って食器を洗う。紅茶を飲んで8時をさす時計をぼんやりと眺める。
絵に描いたような「幸せな家族」。
そこに閉じ込められたような感覚。窮屈。
私は親不孝者なのだろうか。
あの人と出会ってから、心の底で隠れていた何かが、ずるずると這い出てきた。
彼と泊まる報告の返信は、いつも冷たい七文字
大学の部活で出会った、一つ下の後輩とお付き合いし始めた。出会って半年、付き合って約1ヶ月。
今まで歩んできた人生や物事に対する価値観が、笑ってしまうぐらい似ている。でも、見える世界の切り取り方が違うから、一緒にいて心地よくて楽しい。
もう何年も隣にいるような、そんな人と出会ってしまった。
その人の家に泊まりに行くとき、母のスマホにお泊まりについてメッセージを送るのだが、いつも決まって返ってくるのは、
「帰ってきなさい」
ただこの一言。
理由を聞いても、既読すらつかない。
どうやら、スマホを持っていない父が、母のスマホから私にメッセージを送っているようだ。
昔から頭のかたい父。
私と父とは分かり合えない。
他者のアイデンティティを表面だけ見て片付けるような、そんなタイプ。
事あるごとに議論になり、途中で父が声を荒げて話し合いができなくなる。
私が幼い頃から、力尽くで話し合いを潰しにかかってきた父親。なんとか理詰めで歯向かおうとしても、ミキサーのように、粉々にされる。
高校生の頃から、父を理解することを、私はもう諦めている。
根拠のある理由も無しに、毎回送られる七文字。その冷たい文字に、私は一度も従わない。従ったら、やっと這い出てきた私が、また閉じ込められてしまう。またねじ伏せられてしまう。
家族のために、私は私と言う役を演じ続けなければならないのか
だから、お泊まりから実家へ帰る日は、なるべく親と顔を合わせずに済むよう、彼らがドラマを観ている間にそっと帰宅する。日曜日の夜9時から10時。
わざと明るくただいまを唱える。
返事はない。
そして、ベッドに潜り込み、ぬいぐるみに目頭を擦り付ける。
この文章も、布団の中で書いている。iPhoneの外観モードをダークに変え、白く浮かぶ文字に拠り所を探す。身体が熱くなる。
早く家を出たい。
自立したい。
2年前に半年間留学し、欧州で一人暮らししていた頃が懐かしい。大変だったけど、清々しかった。私が私でいられた時間。
透明な時間が、そこにはあった。
家族というコミュニティが消えないように、私は私という役を演じ続けなければならないのか。その役は本当は、変幻自在なはずなのに。
与えられた台詞と場所を行き来する、舞踏会の前のシンデレラみたい。
いっそのこと、鼓膜を破ってもいいから、その大声で私を突き飛ばして
私だって、もう22歳。
分かっている。ひとりで生きていくことの壁の高さ、私の生意気な態度。そう、分かっているから。
だからこそ、いっそのこと、鼓膜を破ってもいいから、その大声で私の背中を突き飛ばしてほしい。
放り出してほしい。
浮かれているわけではない。それは確かだ。
人並みに、いや、人並み以上に人間たちとつるんできたつもりだ。
浮かれた自分が嫌いだから、22年の人生の中で、自分を俯瞰する視点を養ってきた。
理性の度合いをどんな時も調整できてしまう。そんなつまらない人間になってしまった。
でもいい。これが私だから。私という役だから。
バカ娘かもしれないけど、頭は馬鹿じゃないから。
恋人が連れ出してきてくれた私の中の私を、私はもう止められない。
スマホの履歴は、実家から遠く離れた土地の情報で煌めいている。