たぶんどちらかというと裕福で、愛のある家庭に育ったのだと思う。
高校からは姉妹そろって私立の高校へ。吹奏楽にのめり込んだ私に、有名メーカーの楽器を買い与えてくれた。音楽大学に進み、一人暮らしもさせてもらった。
両親は遠くの演奏会にも足を運び、生の演奏を聴いてくれた。その後、体調を崩して大学は中退したものの、今はブライダルサロンでエステティシャンとして働く私を応援してくれている。
自分の好きなことを追える生活ができ、それを理解してくれる家族がいる。この幸せは、きっと当たり前じゃないと思う。
父は私が小学生の頃から、“幸せ”について何度も教えてくれた。
「今は勉強を頑張って、将来は良い学校に通って、良い男をつかまえて、家庭を持って、幸せになりなさい。それがお前の幸せなんだよ」。これが父のお決まりのせりふだった。
当たり前ではない幸せをもらっておきながら、父の言う、「幸せな娘像」を実現できない。親不孝と人は言うだろうか。
ごめんね、パパ。私、大切な女性がいます。
【厳選】「最高の相方」と信じていた夫と別れた理由。アイドルへの夢を絶たれた私が経験した苦難と、見つけた次の夢…11月に読まれたエッセイ