大学3年の夏、強迫性障害と診断された。たぶん1年前くらいから症状らしきものはあったけれど、自分ではまだ大丈夫だと思っていた。 
幼い頃から心配性なところがあった。普通は気にしない、ありとあらゆる小さなことが気になって、母に大丈夫かよく聞いていた。その度に母は私の不安を魔法みたいに消し去ってくれた。

誰かに恐怖を否定して欲しくて、「大丈夫だよ」って言って欲しくて

大学でコロナ禍によるオンライン授業が始まった大学2年の春。いつものようにパソコン画面の中で話す先生をぼっーと見ていたら、突然不安に襲われた。
心臓がドクドクして、何かに追われる感じがして。講義内容が全然頭に入ってこなかった。これが、私と心の病の始まり。
その日から、自分の行動が他人に悪影響を及ぼしていないか、心配するようになった。大学の講義を受けても、テレビを観ても、心の何処かでモヤモヤしたものが溜まっていく。始めは、自分の中にそのモヤモヤを閉じ込めていた。心の中に浮かんでくる恐怖を誰にも知られたくなかった。
でも、閉じ込めておくほど苦しくて苦しくて、心が軋む。そして、私は狂ったように心に抱える不安を母にぶちまけた。とにかく誰かに恐怖を否定して欲しくて。「大丈夫だよ」って言って欲しくて。大好きな母を私の不安の渦に巻き込んだ。
母は私の欲しかった言葉をくれた。安心をくれた。でも、私の不安は母の言葉も安心も吸収してどんどん大きくなった。夜になったら、不安で不安で悲しくなって1人で泣いて。
「何が不安なの?」と言われたら、号泣して話せなくなって。何回も同じことを母や双子の姉妹(ちゅん)にまで質問して、「大丈夫だよ」を待つ。こんな自分勝手な日々が続いた。

大学3年の春、電車に乗れなくなり、家族の勧めで初めて精神科を受診

ある日、泣き喚く私の目に、泣いている母が映った。
何回も大丈夫をもらってるにも関わらず、信じられず、また時間が経てばすぐに同じ不安を繰り返してしまう私。私が母を泣かせた。
最低だ。その夜は、申し訳なさと不安を消すことができない自分に対する悔しさで、いっぱいだった。
そして、大学3年の春、私は電車に乗れなくなった。この頃には、自分がホームや階段で、誰かを突き飛ばしてしまうのではという不安が広がっていた。
電車に乗るのが怖い。このことをきっかけに、母の勧めで、初めて精神科を受診することになった。
私は、正直病院には行きたくなかった。家族に迷惑をかけている認識はあったけれど、身体に異常はない、ただの心の不安。どう思われるか怖かった。でも、母やちゅん、父の家族全員に背中を押された。
そして、現在。心配すぎてしまうのは相変わらずだが、症状は少しずつ良くなってきている。
精神科を受診して改めて思ったことがある。私は家族に支えられている人間だということ。それも、とてつもなく。

母や家族の偉大さに、感謝の言葉と大量の涙で応えることしかできない

心に不安を抱えてから、たくさん泣いた。たくさん、家族、特に母に迷惑をかけた。母には、見捨てられてもしょうがないと思うほどストレスをかけてしまった。
でも、母は病院受診後の家族会議で「皆んなで力を合わせて頑張ろう」と言った。「ママも頑張るから、ねこたも頑張ろう」と言った。私は、母の偉大さに感謝の言葉と大量の涙で応えることしかできなかった。
辛かった。苦しかった。でも、それ以上に母はもっと苦しかったと思う。
母だけではない。ちゅんや父だって、私の存在が鬱陶しくなる瞬間もきっとあったと思う。「しつこい!」と怒られることもあったけれど、私と接する皆んなはいつも笑顔だった。こんなに温かい家族がいて、私はとても恵まれていると思う。

このエッセイは、たぶん、家族には見せない。私が、1人でしっかり立てるようになったら見せようと思っている。
魔法の言葉「大丈夫」をくれる母。ちゅんと父。いつも本当にありがとう。皆んなが差し伸べてくれた手を、優しさを私は絶対に無駄にしない。
そして、今度は私が「大丈夫だよ」と胸を張って言いたい。このエッセイを見せる、その時まで、笑って泣いて強くなる。