世間が喜ぶことは周りも喜ぶ。だから、自立することだけを考えた

世間の目は大事だ。
世間――世の中の大多数の人――が喜ぶことは、私や周りの人が喜ぶ可能性が高い。そして世間が良く思わないことは、私の周りの人が良く思わない可能性が高い。
世間の目を気にすれば、より幸せに、そして間違った選択をしないで済む。

そう思っていたから、私は世間の目を気にして生きてきた。
だから、「その年で実家暮らしか」「いい年してまだ自立してないのか」という言葉を聞けば『実家暮らし』というのは恥なのだ、という考えに至った。

だから『自立した大人』になるために、早く就職し、家を出る。当然のことだった。本当は大学に行きたかったな、とは思いつつ、早く『自立した大人』になる為には致し方ない。
遠くの町に就職が決まった時は当然、周りは喜ぶと思っていた。誰にも相談せず、自分一人で就職先を決めた、『自立した大人』になりつつある私を誇らしく思ってくれるだろうと、思っていた。

自立した大人になるための選択を、両親や祖父に反対された

「駄目です、お断りしなさい」
就職先を伝えた2月、まずは祖父の反対があった。
断っても卒業までに次の就職先は見つからないだろうし、家を出ないといけないから断らないと伝えると「何で出ないといけないの、逆にいないといけないでしょ」と言われた。
けれど私は、祖父の言葉で道を変えるつもりなんて毛頭なかった。所詮は孫が可愛い祖父の言葉だ、としか思っていなかった。祖父には私を自立させる責任がないから、実家にいさせようとするんだろう、と。
両親は違う。私が「恥ずかしい娘」になること嫌がるはずだ。だから、両親なら祖父を説得し、私の就職を応援してくれると、そう思っていた。なのに。両親は私の就職先に難色を示していた。

混乱。何で反対するの。私が『自立した大人』にならないと二人はきっと「娘を甘やかしている」と、世間に親の責任を果たしていないかのように言われるはず。そんな汚名を避ける為にも、二人は私を家から出す必要があった。
疑問。家を出ることの、自立することの、何がいけないの?私が世間にどう思われても構わないの?私が実家にいることに、どんな利益があるの?

落胆。私が『いい年して自立していない人』とレッテルを貼られても良いの?若い今は良くても、数年経ったら自立していない、と陰で言うはず。私が『自立した大人』にならなくても良いの?

世間の目を気にしていたのは私だけ。もう迷わないと決意した

「家を出ることだけが自立じゃないと思う」
話し合いの中で母がそう言った時、私の中の『自立した大人』の概念は、少し解きほぐされた。それは、私の中の常識、『世間の目』が崩れたことと同義だった。
世間、世間の目。それは今まで私が見聞きしたものだった。たまたま実家暮らしは恥ずかしいという意見を聞くことが多かったのだろう。周りの人に聞いてみると「結婚するまで実家暮らしだったよ」「わざわざ一人暮らしする必要ないよね」という考えの人が多かった。

あぁ、なーんだ。
実家暮らしが、自立した大人が、と気にしていたのは、私だけだった。

解放。もし私が実家暮らしであることを悪くいう人は、きっと私が好きではなく、私を非難する口実を探しているだけなんだろう。もし一人暮らしでも、きっとどこかしら悪く言われるはずだ。私を好きでいてくれる人は、私が今後一緒にいたい人は、きっと私が実家暮らしであるかどうかなんて気にしない。

私は、幸せの為に世間の目を気にしていたはず。だからもう、私が幸せになれない世間の目は気にしないことにした。

そうして私は、就職の内定を辞退し、浪人して大学受験をすることにした。以前の自分なら許さないだろうな、と思う。世間にどう思われるか、こんな恥ずかしい人間で家族に申し訳ない、と。
けれど、自分の幸せの為なのだ。
もう迷いも恐れもない。