毎年、町がクリスマスムードに包まれる時期になると、私は必ず左手の指輪を優しく撫でる。
あの日の心の温度を、あの日の柔らかな空気を、ずっと忘れないために。
激務の彼には、イルミネーションもケーキもプレゼントも、頭にない
クリスマスプレゼントは何にしよう。マフラー?手袋?ニット帽?
スマホで「30代 男性 プレゼント」と検索しては様々なネット記事を読み漁り、やたらメンズブランドの名前だけは詳しくなってきた頃、彼からLINEがきた。
「クリスマスもその後の週末も仕事だけど、夜中には終わるから。そっちの家に行く」
2週間前に私が送った「クリスマスは会えそう?」のLINEに、やっと既読がついていた。
素っ気なくて、味気なくて、心踊るようなイベントも何もないクリスマスになりそうだけど、普段の彼の激務の様子を知っているとこれはもう仕方のないことだと諦めがつく。
きっと彼は、イルミネーションを見ることも、ケーキやチキンを食卓に並べることも、プレゼントを用意することも、全く頭にないだろう。
仕事が終わる午前0時過ぎにはもうコンビニぐらいしかやっていない。
それでいい。
それでいい。
自分に何度も言い聞かせながら、メンズ用マフラーのネット記事とクリスマスイベント特集のネット記事のウィンドウを一括削除した。
満身創痍の彼に何を求めよう。もやもやした気持ちを胸の奥に押し込む
クリスマス翌日の職場は、異様に温度が高かった。更衣室ではキラキラしたネックレスやピアスを身につけスマホの画像フォルダを見せあいながら、イルミネーションやディナーを感激しあう声が飛び交っていた。
これでいい。
これでいい。
無心で制服のリボンを結び、早足でデスクに向かった。
相手からお返しを期待できないのにあまり高価なものを押し付けるのは悪いだろうけど、何もないのは私がつまらないと、手頃な価格でネット注文できたマフラーをクローゼットに隠した。オプションでクリスマス包装を選んだから、赤と緑の主張が激しい。自分のものじゃくてもなんだかわくわくした気分になる。
「遅くなってごめん」
クローゼットの扉を閉めた瞬間、仕事終わりでげっそりやつれた彼が私の部屋にあらわれた。
こんな状態の人に、これ以上何を求めよう。
ここ数日のもやもやした気持ちは、彼の満身創痍の姿によって私の胸の奥にぐっと押し込まれた。
土曜の夜か日曜の朝か、午前3時に部屋へ来た人をもてなすには何を出すべきか全く正解が見当たらないが、とりあえず温かな紅茶を淹れて二人で飲んだ。
プレゼントのマフラーを巻いた彼は、無言で部屋を出ていった
「あのね、職場の人達がクリスマスにね」
最近あったことを話すノリで職場のクリスマスの話をしようと口を開いたが、嫌味にとられたらどうしようと思った途端に言葉が詰まってしまった。
続きを期待して首をかしげる彼が、今日も手ぶらで何も用意せずこの場に来ていることを私は知っている。
「クリスマスにね、サンタさんを何歳まで信じていたかって話で盛り上がったんだー!」
ありがとうサンタさん。
たぶんうまく誤魔化すことができた。
彼は嫌味にとるような人じゃない。
そんな卑屈な人じゃない。
それでも、胸の奥に押し込まれた気持ちはあまりにも大きすぎて、一歩加減を間違えたら爆発してしまいそうで、今さら素直に伝えることは難しかった。
朝日が昇り始めた午前6時、そろそろ仕事に戻ると言う彼の手をひき、クローゼットの前へ誘導した。
「今年一年間頑張った人へ、サンタさんからのプレゼントだよ!」
クリスマスの包装を丁寧に開き、マフラーを首に巻いた彼は、突然そのまま無言で部屋を出ていってしまった。
え?
何故?
何か怒らせることを言ってしまった?
私の何が悪かった?
コンビニ袋を抱えて、息を切らして戻ってきた彼がくれたプレゼントは
混乱して玄関で突っ立っていたら、コンビニ袋を胸に抱えた彼が息を切らして戻ってきた。
「何も用意してなくてごめん。はい、これ」
袋から出てきたのは、婚姻届の付録がついた結婚情報誌だった。
「いつも自分の気持ちを押し殺して相手を優先して、誰よりも頑張り続けてきた人に、サンタからのプレゼント」
え?
「もう我慢させたくない。悲しい気持ちを一人で抱えさせたくない。受け取ってほしい」
つまり、プロポーズ?
突然の出来事で頭が混乱した私は、
「コンビニで結婚情報誌が買えるのか。付録の婚姻届のデザイン可愛い。結構重いのは別冊付録のドレス特集bookの分だろうね」
など余計なことを考えているうちにだんだん冷静さを取り戻し、目の前の彼の存在を思い出した。
不安そうな顔をして袋をくしゃくしゃ丸めている。
私が私以上に彼の傷に痛みを感じるように、彼も彼以上に私の傷に痛みを感じてくれていた。
こんなにも互いの機微を解する相手を、どうして手放すことができよう。
「ありがとう、すぐ書くね!」
ほっとした笑みを浮かべ、鞄を持ち直しそのまま仕事に向かった彼のマフラーには、タグが付いたままだった。
笑い話にするにはあまりにも不器用な愛に溢れすぎた、素っ気なくて味気なくて世界一最高なクリスマスの思い出話だ。