「求めるだけの私をやめる」。そう決心した。
私は生まれてから20年間相手に求めてばっかりの人生だった。両親には無償の愛を求めた。「親なら私のこと1番に思ってよ」「親ならこれくらいしてよ」と思っていた。
友達には見返りを求めた。「友達なんだからわかってくれるよね」「こんなに私は尽くしているのになんで?」と思っていた。
そして、いつも勝手に期待して、相手に愛や見返りを求めては、自分の思うような結果が返ってこずに傷ついていた。

「求めるだけの私」の存在が、自分を傷つけているのではないか

「してもらえて当たり前」「わかってもらえて当たり前」。そんな「当たり前」を私は2021年12月をもってすべて断捨離することに決めた。
未練は1mmもない。きれいさっぱり処分して、心を入れ替え気持ちよく2022年を迎えようと思う。
2022年は「求めない私」として生きていくことに決めた。

事の発端は、2021年の秋。コロナ禍で親しい人ともなかなか会えず、距離を置いて過ごすことになった。
一人で過ごす時間が多く自分と向き合う時間ができた。すると、自分が傷だらけになっていることに気づいた。
最初はなぜ傷ついているのか見当がつかなかった。だが、ぽつぽつと日々の記録や思ったことをメモ帳に書いていくとだんだんと見えてきた。
「なんだか私って人に求めてばっかりだな」
ふとその言葉が口から漏れていた。口に出してみるとじわじわと心に沁みてきて、こんなにも傷ついているのは全部自分のせいではないか、自分で自分を傷つけているのではないかと頭の中に浮かんできた。
この時初めて「求めるだけの私」の存在に気が付いた。

相手を信頼し、私と相手の境界線を意識することが、卒業の第一歩

私は目に見えない愛情や絆を信じることができていなかった。私のために何か行動してくれるタイミングで愛情や絆を感じていた。
だが、本来であれば行動がなくとも、思いや気持ちなど目には見えないが、そこには確かな愛情や絆があるはずだ。その見えない部分を信じることこそ、相手を信頼するということなのだろう。
そういう意味では、きっと私は誰のことも信頼しているつもりになっているだけで、誰一人として信頼していなかったのだと思う。まずは相手を信頼することが、「求めるだけの私」を卒業する第一歩だ。

そして、無意識のうちに自分の価値観を相手に押し付けていたことにも気づいた。
求めるけど返ってこなくて傷つくときは、だいたい「私ならこうする、だからきっとこの人も同じことをしてくれるはず」と私の基準を相手に押し付けていた。自分の中で、私と相手の境界線がかなり曖昧だったのだ。
私は私、相手は相手、別々の考え方を持つ人間なのだと意識していくことにした。

今まで私は見えないものを信頼せず、自分の思考パターンを当てはめて相手の行動を予測することで、自分の心を大切に大切に守っているつもりだった。
しかし、こうして分析してみると、心を守るどころか、自分で自分を苦しめて、周りの人も苦しめていた。

大切なことに気づかせてくれた自粛期間に、感謝の気持ちでいっぱいだ

1人の時間を持つことで、今までなんとなく見て見ぬふりをしてきた自分の思考の癖を発見し、原因の分析や、解決策を考えることができた。愛情や絆について深く考えることもでき、目に見えないものの大切さを学ぶことができた。
おかげで私は人間として少し成長できた気がする。こんなにも大切なことに気が付かせてくれた自粛期間には感謝の気持ちでいっぱいだ。

20年間も続けてきた「求めるだけの私」としての生き方は、そう簡単には変わらないかもしれない。でも、私は「求めない私」に変わり、大切な人たちを信頼し、自分も相手も大切にできる人に変わりたい。絶対に変わってみせる。その覚悟をここに残します。