自分が好きなら好きでいい。好きでいることは自由だ。
私の中で、今日最善の解がでた。

結婚しなければ幸せになれないという価値観が、私を追い詰めていく

ここ数年、ずっと一つのことに違和感を持ち続けていた。恋愛が始まらないという問題。その理由は自分と家庭環境にあったと思う。
母は女優や俳優の結婚や熱愛報道を見るたびに、はよ子ども産まないとな、とか、はよ結婚しなあかん年やな、などのコメントをいつもこぼす。
え?じゃあ私もそうなの?結婚して子どもを産むことが幸せなのか。
信じて疑わなかった。

しかし、結婚どころか私は今まで彼氏ができたことがない。
もちろん好きな人はいた。告白されるのを待っていたが、一向にない。じゃあ自分からアピールしよう。アピールして、恋人作って結婚して幸せになるんだ。そんなふうに思って行動してきた。
高校の頃好きだった人には、思い切って好きだから付き合ってと言っても、会う時間が取れないからと振られる。大学時代合コンで出会った人には一度ご飯に行ってもそれきり。
それでも恋人を作って結婚をすることは諦めがつかなかった。原因は幼い頃から刷り込まれた、結婚しなければ幸せになれないと言う母の価値観だ。

どうしてだろう、取り合ってもらえない。私に魅力がないんだ。もう、結婚どころか恋人を作ることも、恋を始めることも諦めて、1人で過ごしていく覚悟をしなければいけないのかもしれない。そう思ったことが何度もある。
あるのに諦められない恋人と結婚。始まらない恋愛。
なぜだろう、結婚やら恋人が全てではないはずなのに。

見返りと母の価値観を捨てて見つけた、私が幸せでいられる方法

そんなとき職場である同期から言われた「見返りは求めると疲れるよ」と。
そうなのだ。私は恋人になってほしい、結婚してほしいという見返りを求めて、行動しすぎていたのだ。
母が言う「結婚しなきゃいけない」とか、そういう価値観に疑問を抱く自分がいたのにも関わらず、どこかで母の言う通りにしようとしていた。

でも、分かったことは結婚してもしなくても、子どもがいなくてもいても、結婚したいと思っても思わなくても、子供が欲しいと思っても思わなくても、それは自由なんだってこと。自分で決められるってこと。
自分の幸せがそこにあるとは限らない。別に結婚しなくたっていい、子どもがいなくたっていい。今の世の中は、どんな形でも幸せになれるようになってきている。見返りはもう求めなくてもいいのだ。

じゃあ、私は?
私の幸せは、私が好きな人と一緒にいられること。
私は好き。それでいいんだよ。好きでいることは自由だ。私が好きで、相手も同じように大切に思ってくれるなら付き合えばいい。恋人になってもらえばいい。結婚したいと相手も思ってくれるなら結婚すればいい。
でも、相手がそうじゃないなら、人間として好き。一方的に見返りを求めず好き。それでいいじゃない。好きな人がたくさんいることは人生を豊かにする。恋が始まらなくてもいい。

きっとこれだと恋は始まらない。だけど、始まらなくても、幸せになる方法はあるはず。
これからはもっと自分自身に恋することから始めたい。