私の人生で一番とち狂った旅話をこっそりしていこう。
その時の私は一人暮らしをしており、毎晩ホームシックで涙を流していた。
今思い返せば、とても充実した環境であったが、その頃の私にとってはさみしく孤独であった。
毎晩出歩いて、知らない人と食事したりする日もあった。
人見知りの私よりも寂しがりの私が勝つことを知った。
ネットでの知人からシェアハウスしないかと提案。私は即了承した
寂しさを誤魔化し続けるだけの日々に、ネットで知り合った人から、シェアハウスしないかという提案をされた。
当時私は関西に住んでいたが、提案してくれた相手は関東住み。
けれど私は即了承した。
家も解約して、数日後に出発。関東に住みに行ったのだ。
新幹線に揺られ、実際に1日その土地での生活サイクルを体験してみたが、とても幸せな時間だった。
ずっと住みたかった土地、想像通り、以上の人あたりの良さ。
一生住むくらいのつもりで行ったけれど、その日の夜に私は関西へ戻ろうと決意した。
なぜか。
それは若気の至りで忘れてしまった――ということにしておく。
実際に住み続けて、ここへ来なければよかったと思うルートよりも、あのまま住んでいればよかった、と思える今の人生を選んでいてよかったと思う。
打ち明けると深夜だからと一泊させてくれ、翌日にはお礼をして朝一でその土地を去り、そこから直帰するわけでもなく、都内を観光するために数日宿泊をかまして都内の友人とも食事をして満足して帰った。
全くもうなんて勝手な奴なんだと呆れる話だが、ここまで来て私自身の本来の目的が分かった。
ただ、今の環境から抜け出す口実が欲しかったんだと。
自分が分からなくなったときに、本来の私を揺さぶり起こしに旅に行く
思い返せば、私の旅にはいつも隣に誰もいないし、ふらーっとぽけーっと唐突に関西の田舎町から、「あ!関東へ行こう」と夜行バスに乗り込むような人間にとって、なぜ自分が今ここへ来たかったのか、その答えを探しに行くようなものだった。
流行に疎い私でも知っているような映える美味しいものを食べて、地元では悪目立ちする癖の塊のようなド派手で個性的な私好みの洋服を買って、本来の私を与えてあげる時間。
きっと自分が分からなくなったときに私は旅を欲していると思う。
規則正しく、変に悪目立ちしないように淡々と個性を失って過ごしていく日々の中で見失いかけた、本来の私を揺さぶり起こしに行く旅。
これが、「わたしに旅が必要な理由」。
リセット癖のある私にとって、解約した事実は残り続け、家もない状況であったが、ゼロから始めることは怖くなかった。
それよりも、あのゆるやかに朽ちていくのを待つ環境から抜け出せないことの方が、当時の私には怖かったのだろう。
たまには、すべて捨てて積み上げなおすのも悪くない。
そして今、まさにこの文章を綴っている私も、真綿で首を締められるような日々の中にいる。
全て手放して飛び出すのは、今か。