同居していた祖父は認知症になって7年目、入院先の病院で亡くなった。
だんだん意思疎通が難しくなり、暴れる祖父。話すことも食べることも分からなくなった。そんな彼と、彼の世話に疲弊する家族をひとごとのように見ていた私は、最低の孫だった。
そろそろ家が崩壊するという時、祖父が肺炎になった。そのまま終身の入院が決まり、私はほっとしてしまった。ああ、これで家庭内戦争から解放される。
約3年の入院期間で見舞いは2回だけ。やせ細り、寝たきりで変わり果てた姿を見ていられなかった。そろそろ3回目を、という頃に亡くなった。
大掃除で、祖父が使っていたウンチにまみれたトイレを掃除した。脳裏に浮かぶのは、暴れる祖父でもやせた祖父でもない。認知症になる前の恰幅のよい、常に穏やかな笑顔を浮かべた祖父だった。
泣くな私。お前に泣く資格なんてない。このトイレ掃除は贖罪にもならない、ただの自己満足だ。
おじいちゃん。目を背けてごめん。見舞いにも行かずごめん。何もしなくてごめん。祖父不孝な孫でごめんなさい。