何時何分なんてどうでもいい。でも、あの時間はあっけない瞬間だった

父親に対する後悔がたくさんある。
「8月25日 16時45分」
どこを見ていればいいか分からなくて、ずっとお腹の上で組まれていた手を見ていた。痩せていると言われれば確かに痩せ細ったその手をぼーっと見ながら、医者から父が亡くなった時刻を聞かされた。

後日母と、「あのお医者さんの腕時計、ちょっと遅れてたよね。亡くなったの、もう少し早かったよね」とほんの少し呆れながら話した。
何時何分なんていうのはどうでもいいとお互い分かりながらも、あれはなんだかあっけない瞬間だった。その時、父の手を見ながら涙は一滴も出なかった。顔は少しだけ見たが、怖くてすぐに目を逸らした。

おそらく父は死んでしまう。不思議と悟った夜、ベッドで号泣した

父が自宅で療養していたとき、薬の副作用でトイレで吐くことがあった。反抗期真っ只中だった私は、辛そうだな……と思いはしたものの、なんと声をかけてどう接していいのかわからず、大丈夫?と、もごもご口にしてその場を去ることしかしなかった。

なんでもできるタフな父親が、目の前で吐き弱っている姿を、娘が見てはいけないと思ったのかもしれない。あんなに苦しそうでかわいそうでとっても辛そうだったのに、一切優しい言葉をかけられなかった。滅多に弱音を吐かない父親が、「パパ辛いよ……」とトイレから言っているのが聞こえたが、背中をさすれなかった。
あのとき娘が立ち去り、父はどういう気持ちだっただろうか。お見舞いにもほとんど来ない娘に対して、父親はどんな気持ちを抱いていたのだろうか。

初めて父が検査入院をすると聞いた夜、私はベッドで号泣した。子供部屋のドアを少し開け、「パパ来週からちょっと検査入院するね」と、なんてことないように、でも少し心配してほしそうに父は言った。
「え、そうなの。頑張ってね」とそっけない返事だけをした。扉を父が閉め終えるのを確認して、布団の中で泣いた。亡くなった日よりも、この夜の方が私にはショックだった。

検査入院とは言うものの、あぁ、おそらく父は死んでしまうんだ、と不思議と悟ったからだ。

あの夜のせいで続く後悔。ただ、あの夜あったから私は素直になれた

あの夜のせいで、私はいつまでも後悔をするし、いつまでも家族を失うことが怖い。ただ、あの夜があったから、素直になった。大好きな人には大好きと、伝えられるようになった。伝えなければいけないと思うようになった。

亡くなる数日前、父が母に遺した言葉は、「娘たちを産んでくれてありがとう」だったそうだ。
その言葉だけで娘の私としては十分以上なのだが、亡くなる前の数ヶ月はもうそれはそれは反抗的で生意気だった。果たして父はその「娘たちを産んでくれてありがとう」という言葉を、パパ大好き!と心から思い接していた小さな頃の無邪気な私たちの姿を思い浮かべて言ってくれたのだろうか。それとも、あれほど生意気で無愛想になった姿を思い浮かべてでも、思ってくれていたのだろうか。

贅沢でわがままと言われてもいいから、あの頃の私の中に、父がいなくなってしまう寂しさが確かにあって、大好きと思う気持ちが確かにあったと、わかってくれていたことを願う。

これは誰に聞いても答えなんてないものだから、ただひたすらに願うばかりだ。