わたしはひいおばあちゃんが嫌いだった。
「ひいおばあちゃん」と呼んでいるけれど、正確にはひいおばあちゃんはわたしにとって本物のひいおばあちゃんではない。
祖父の叔父の嫁にあたる人物で、その叔父亡き後、ひとり暮らしが不安だからと、祖母と祖父が「ひいおばあちゃん」の家で暮らすことになった。だから血縁関係はないのだ。

おばあちゃんを困らせるひいおばあちゃんは、敵だった

ひいおばあちゃんは、とにかくわがままだった。
家事掃除洗濯、一切しない。お肉ばかり食べる。おばあちゃんに何もかも頼りきりだった。

ある年、もういつだか覚えていないけれど、わたしがたぶん小学校高学年頃、ひいおばあちゃんは認知症になった。それまでのわがままに加えて、認知症特有の被害妄想や暴言などが加わり、ますますおばあちゃんの手を焼かせていた。

わたしは、おばあちゃんがだいすきだった。年子の妹に母親がかかりっきりの間、いつも相手をしてくれていたのはおばあちゃんだった。
そんなわたしにとって、認知症になり、おばあちゃんを困らせるひいおばあちゃんは、敵だった。
「こんなになっちゃって早く死にたい」と言ったその口で「ご飯も食べさせてもらえない、餓死させられる」と騒いだり、ふらふらとどこかへ消えて、家族総出であらゆるところを探しておばあちゃんの家に戻ったら、「どうしたの?」とトイレから出てきたり。とにかく鬱陶しかった。
「私頭がおかしくなっちゃったの」「こんなになっちゃって早く死にたい」
そう言って泣くひいおばあちゃんは、どこか演技じみて見えて、迷惑だけかけてバカバカしい、とわたしは白い目で見ていた。

ひいおばあちゃんの死より、試験のほうが大事だと思っていた

わたしはひいおばあちゃんが嫌いだった。
高校一年生の終わり頃に、ひいおばあちゃんは亡くなった。期末試験が近くて、告別式にもお葬式にも出たくないと言った。ひいおばあちゃんの死より、試験のほうが大事だと思っていた。
家族に説得されて、結局わたしはお通夜の間に勉強をした。

わたしは知らなかったのだ。「まだらボケ」という状態を。
「早く死にたい」と泣いたときのひいおばあちゃんは、きっと正気に(と、言ったら少し語弊があるけれど)戻っていたのだろう。あの頃、おばあちゃんの手を煩わせるひいおばあちゃんが、全面的に悪いと思っていたが、いちばんつらかったのは、きっとひいおばあちゃんだったはずだ。
もちろん、おばあちゃんの苦労も計り知れないけれど。

悩むひとに、手を。そのひとらしく最期まで生きられる手助けをしたい

ほんとうはわたしは覚えている。
幼い頃、ひいおばあちゃんの膝のうえで遊んだこと。ひいおばあちゃんと一緒に歩いているときに、「金木犀のにおいがするね」と言われて初めて秋の頃のこのにおいが金木犀のものだったと知ったこと。
わがままで血縁関係はなかったけれど、近所のひとにニコニコと「うちのひ孫です」と紹介してくれていたこと。
覚えていたのに、わたしは納骨されるその日までずっと、ひいおばあちゃんに優しくできなかった。

あの頃の罪滅ぼし、のつもりではなくて、ひいおばあちゃんと同じように悩むひとに手を差し伸べたいと思い、大学生の頃に、認知症サポーターのオレンジリングを取得した。
救いたい、とは言わない。ひとがひとを「救う」なんて言葉は傲慢だ。
けれど、そのひとらしく最期まで生きられる手助けをしたい。

金木犀が香ると思い出す。
わたしはひいおばあちゃんが嫌いだった。