私は都内に住む28歳だ。約2年半前、転職を機に関西から上京してきて、2年間一人暮らしを経験した。現在は4つ年下の恋人Mと一緒に、6畳1Kの狭いアパートで毎日楽しく暮らしている。
もし、2年前の私がこの事実を知ったら、驚愕することだろう。なぜなら、当時の私にとって、一人暮らしは「絶対」だったからだ。
他人に甘えることが苦手な私と一人暮らしの相性は良く、絶対的なもの
当時の私にとって、一人暮らしが「絶対」だったのは、一人暮らしをしていると、自分だけで全ての出来事を抱え込むことができるからだ。一人暮らしは、生活上の良いことも悪いことも、私ひとりに降りかかってくる。他人がほとんど介在しない生活は、私にとって居心地が良かった。
子どもの頃から、他人に甘えることが苦手だった。そのことには、両親が影響していると思う。
母親は極端な放任主義で、父親は厳格な「昭和の親爺」だったから、子どもの頃から両親に何かを相談したり、自分の心情を吐露したりすることはなかった。振り返ってみると、両親に相談するという発想自体、なかったように思う。だから、友達との喧嘩も、いじめも、受験も、孤独感も、劣等感も、恋愛も、バイトも、留学も、就職も、転職も、上京も、全部ひとりでどうするか決めて、行動してきた。
そんな私と一人暮らしの相性はすこぶる良かった。賃金を稼ぎ、自分で自分の衣食住を世話し、感情のコントロールも、悩みも、大きな決断も、全てひとりでやり通した。生の激しい感情を他人にぶつけず、常に理性的に、論理的に話して、物質的にも精神的にも他人に寄りかからなかった。他人に甘えられない私は、他人から自分を切り離すことで大きな安心感を得ていた。
それに、自分ひとりで生活の切り盛りをしているという事実は、私に自己肯定感を与えてくれた。「安心感」と「自己肯定感」を与えてくれる一人暮らしは、私にとって「絶対」のものとなった。
「ひとり用の人間」だった私の形を、じわじわと変えていったM
そんな私の平穏な一人暮らしに闖入者が現れた。それが、Mだ。Mが「ひとり用の人間」だった私の形を、じわじわと変えていったのだ。
Mとは、共通の趣味である映画を通じて出会った。でも、私たちには、映画以外の共通点もたくさんあった。深夜ラジオや、お笑いや、文学、スパイスカレー、お互いの性格について……などなど、話題が尽きなくて、初めて2人で遊んだ日は、午前中集合だったにも関わらず、上野の一軒め酒場で、終電前まで飲んだ。
ほぼ初対面の私にMは「高校の親友と飲んでるみたいです。趣味がきっかけで会ったけど、趣味抜きでも仲良くしたい」と言って、お酒で頬を染めながら、嬉しそうに笑った。
友達だった頃から素直に好意を表してくれたMだったけれど、付き合うことになってからは、より率直な言葉で私への思いを伝えてくれた。
「かわいい」「綺麗」「好き」「〇〇さんがいてくれるだけでいい」「一生一緒にいたいです」。2人にきりになると、Mの口からはそんな言葉がするすると出てきた。
漫画みたいな台詞だけど、Mは本気だ。どうやら、Mにとっては、私がほとんど初恋みたいなものだったらしい。Mの愛情は、大人らしくスレた恋愛観を持っていた私にとって、戸惑うほどに純粋で強烈だった。
「恋愛感情は、その熱烈さに比例した速度で失われる」「付き合い始めて3ヶ月がピーク」というのが世間の通説だが、3ヶ月経っても、半年経っても、Mの気持ちは変わらなかった。
パーソナルスペースがないMの部屋では、私は自分と向き合えない
その頃あたりから私は、Mの部屋に入り浸るようになっていた。そこで問題になるのがパーソナルスペースだ。
6畳1KのMの部屋では、個人のスペースを確保することができない。例えば、仕事で落ち込むことがあって、それについてじっくり考えたくても、家に帰ればMがいる。1Kだから、私たちは同じ空間で過ごさなければならない。
Mは私の表情に敏感だから、何かあった時はすぐに気がつく。私が落ち込んでいることに気がつけば、すぐに「どうしたの?何かあった?」と話を聞いてくれようとする。
そんなMを、私は拒んだ。私は私の問題や、私の感情にひとりで向き合いたい。自分自身でそれらをしっかりと見つめて、理解して、対処したい。今までずっとそうやってきたのだから。それが私に安心と自信を与えてくれたのだから。それが出来なくなったら、私は私のことを好きでいられなくなるのだから。当時の私は、そう考えていた。
結局のところ、当時の私はMを信じきれていなかったのだと思う。いくら恋人とは言え、Mは他人だ。他人はいつか離れていく。離れていく存在に頼りきってはいけない。ひとりになった時に立っていられなくなるから。Mを拒んだ理由の根本には、そんな考えがあったように思う。
私を好きだとMはさらっと言いのける。そんな調子で1年が過ぎた
この問題を解決してくれたのが、Mの寛容さと辛抱強さだ。そして、その2つは常にMの、私への愛情によって支えられていた。
「付き合い始めた時と今、どっちの方が好き?私の色々なところが見えてきて、気持ちが冷めてきたんじゃない?」
そんな子どもじみた質問を、何度も何度も、しつこいくらいに投げかけた。Mはその度に、
「今の方が好きですよ。一緒に過ごした時間が長くなれば長くなるほど、〇〇さんのことが好きになっていくから」
と、穏やかな口ぶりで答えてくれた。Mの表情を見れば、その言葉に嘘が一つもないことは明らかだった。
私がいくら理不尽なわがままを言おうと、Mは聞き入れてくれた。
私がイライラしているときは優しく見守ってくれたし、生理痛等で動けないときは美味しいご飯を作ってくれた。
会社に行くのが億劫な朝は、早起きをして最寄り駅まで送ってくれた。
2人で生活する中で、Mの優しさや寛容さの程度はいつも、私の予想を遥かに超えてきた。
私はその度に驚き、感心し、そして言うのだ。
「Mって私のことめちゃくちゃ好きやんな」
「うん、そうですけど?」
当然でしょうという表情で、Mはさらっと言ってのける。そんな調子で1年が過ぎた。
その頃、ようやく私は理解したのだ。
「もしかして、私とずっと一緒にいるつもり?」
「え、いや、最初からずっとそう言ってるじゃないですか!やっと信用してくれました?」
Mと出会ってからいつしか、一人暮らしが「絶対」ではなくなっていることに、私は気がついた。