「ちょっとお手洗い行ってきますね!しそちゃん、一緒に行こお!」
唐突にトイレに誘われ、彼女は私の腕を取るように席から連れ出す。
「〇〇先輩って、超優しくって!私運動苦手だけど、このサークル楽しそうってなっちゃって!」
「てか女子少なすぎよね!?しそちゃん、サークル行くとき誘ってね!」
「経済学部の〇〇くん、見た!?」
矢継ぎ早に話しかけてくるのは、同じ大学の同級生Mちゃん。
私達は新入生で、あるスポーツサークルの新入生歓迎食事会で初めて顔を合わせた。
「しそちゃん、スポーツできそう!何やってたの?」
「ソフトボール?すごいね!どこのポジション?」
Mちゃんはいつもメイクバッチリ。仲良くなれる気がしなかった
お手洗いの鏡の前、Mちゃんは持ってきたポーチから次々化粧品を取り出し、メイク直しを始めた。私とのお喋りとニコニコ笑顔を絶やさずに。
とても器用だ。そして、コミュ力(コミュニケーション能力)と女子力が半端ない。
唇にリップクリームを塗るくらいで、メイク直し以前に、メイクなんてそもそもしていない私はMちゃんの隣、ぎこちない笑みで鏡に映った。
知らない人との飲み会は緊張して、うまく喋れない。リラックスして飲み会を楽しむMちゃんが羨ましい。
彼女は正反対の人間だ。仲良くなれる気がしない。それが、Mちゃんの最初の印象。
「しそちゃんはやっぱり上手だねえ。ボール、どうやったらうまく投げられるの?」
「ちょっと〇〇先輩ったら、ばかにしないでくださいよぉ!」
彼女は本当に運動が苦手だったけど、ケラケラ笑って楽しむのを見てると、一緒にいるこっちもなんだか笑っちゃう。サークルでも学内の廊下で会っても、いつもメイクはバッチリ。すごいなあ。
メイクを教えてほしいと頼んだ。ほんの少しでも自信を持ちたかった
「しそちゃん、〇〇先輩のこと好きでしょ!?」
ある日、グラウンドの隅っこのベンチで休憩中、Mちゃんに好きな人を見事に言い当てられた。
嘘やん。1ミリも好きな素振り出してないつもりだったのに。
絶句する私と、ニヤニヤしてるMちゃん。あ、当たった!?って嬉しそうに、ニヤニヤニヤニヤ2倍増しに笑ってる。
「あのっ、お願いがあるんやけど!メイク、教えてくれない?」
とっさに、彼女にメイクを教えてほしいと頼み込んだ。
彼女のように可愛くてお喋り上手な女の子になって、先輩を振り向かせようなんて思ってない。でも、先輩とふと目が合った時、ほんの少し自信が持てたら。ほんの少し今より可愛くなれたら。
「もっちろん!しそちゃん、メイクしたらもっと可愛くなれるよ!」
大学の空き教室で、彼女はいつものポーチを取り出した。
「マスカラはこのメーカーのが使いやすくて、アイブロウはこれ。化粧下地のクリームとコンシーラーと……」
化粧未経験の私、彼女の口から出るワードが全く理解不能だ。そんな私をばかにすることなく、Mちゃんは丁寧に説明しながらメイクしてくれた。
まつ毛や唇がモサモサして落ち着かないけど、鏡の中の自分はいつもと全く違う。健康的というか、生き生きした感じ。
素直で一生懸命な彼女。一部だけ見て、彼女という人間を判断していた
「ありがとう!なんか別人みたい!」
「メイクするとテンション上がるでしょ!やっぱり可愛く見られたいし!」
Mちゃんはとても嬉しそうにニッコリした。
いつもメイクに手抜かりなく、笑顔絶やさぬ彼女は充分に魅力的で素敵だ。
しかし、メイクをしている時の彼女は、好きな気持ちに素直で一生懸命で、新しい一面を見た気がした。
Mちゃんみたいなタイプ、友達になれないと思ってた。
飲み会の席で真っ先に、サラダを皿に人数分取り分ける子。
男性の前でいつもよりワントーン高い声で話す子。
お手洗いの鏡の前で、しっかりメイク直しする子。
私は彼女のほんの一部だけ見て、彼女という人間を判断していた。それが間違いだと気付くと同時に、彼女のことをもっと知りたいと思った。
結局、先輩に好きという気持ちを伝える勇気は出ないまま恋は終わったけど、メイクをきっかけに、Mちゃんとはとても仲のいい友達になれた。
メイクとの距離感。
それは私にとって、Mちゃんとの距離感。
今でも彼女は、私の大好きなメイクの先輩だ。