街がイルミネーションに包まれると、赤い服のおじいさんをよく見るようになる。言わずもがな、サンタクロースだ。家のクリスマスツリーの飾りにも、複数体いる。
だけど、そのおじいさんをツリーに飾りたいとはあまり思わない。
私にとって、サンタクロースは赤い服を着たおじいさんでも、トナカイがひくソリに乗っているおじいさんでもないから。
黒っぽいレディースの服を着て、自転車を走らせる母だったから。

サンタはいない。タダでものをくれる人がいたら、犯罪者と思いなさい

「サンタなんていないの。タダでものをくれる他人はいない。もしそういう人がいたら、それは犯罪者だと思いなさい」
小学校にあがってすぐ、母が言った。
「生ぬるい空想を、大人のエゴで子どもに押し付けるのはいかがなものか」と考えていたのだと、のちに母は語った。
もともとサンタクロースを本気で信じていたわけではない。物心ついたときからぼんやりと母だろうと思っていたためだろう、たいして驚かなかった。そのとき、私が返した言葉は「じゃあなんで、サンタさんは世界のどこでも赤い服を着てるの?」だったらしい。この返答に母は面食らったのだという。
ちなみに幼い私の質問に対して、母は某飲料品メーカーの策略だろうと応えた。自分の発言に関してはほとんど覚えていないが、母の放った策略発言はよく覚えている。
結局、サンタクロースが何故、万国共通で赤い服を着ているのかは今になってもよくわからない。調べようとも思っていない。
本当に策略だったのかもしれないし、もっと別の意味があるのかもしれない。
ただひとつ言えることがある。私のサンタクロースは赤い服を着ていなかった、ということだ。
母はいつも黒色の服を好んで着ていたから。

私のサンタクロースは、ソリではなく、自転車に乗っている

母は「サンタはいない」とはっきり宣言したが、毎年、私が欲しいものをくれた。おもちゃのオルゴールの製作キット、CD、洋服。当時、入手困難だった携帯用ゲーム機が欲しいと言ったときには、一緒に抽選会まで行ってくれた(抽選は外れた)。
父は仕事柄、ほとんど家にいない人だった。まわりのお父さん方とは違い、土日も、お盆も、正月も、家にはいなかった。当然、クリスマスも。だから毎年、母がプレゼントを買ってきてくれた。
思えば、あの頃インターネットは今ほど発展していなかった。きっと品物を探すのは大変だっただろう。車は父が仕事に乗っていってしまうため、母の足は自転車くらいしかなかった。だからだろうが、母は自転車でどこへでも行ってしまう人だった。
ちなみに追記しておくと、普通のママチャリである。ママチャリを走らせ、母はどんなものでも探し当ててきてくれた。毎年、毎年。
私にとってのサンタクロースは、ソリではなく、やっぱり自転車に乗っている人だった。

サンタは赤い服を着て、ソリに乗っているおじいさんだけでなくて良い

中学生のとき、複数の友人と話していると「いつまでサンタさんを信じていたか」という話になった。クリスマスが近かったからかもしれない。その子たちは小学校高学年まで信じていたようで、「何でそんな早くに気づいたの?」と重ねて問われた覚えがある。
私は正直に、
「小学校にあがってすぐ、母親にいないよって言われたんだ」
と答えた。
すると彼女たちは一様に「かわいそう」と言った。今でもよく覚えている。「でも毎年プレゼントは貰ってるよ」と付け加えても、彼女たちは「かわいそうだよ」と言った。何がかわいそうなのかわからず、その言葉の真意について、私は尋ねることができなかった。
私にはサンタクロースがいなかったわけではない。12月25日、目を覚ませば確かにプレゼントは用意はされていた。ただサンタではなく、母が贈ってくれていただけ。それに彼女たちだって、親から貰っていただろうに。
誰が作ったかわからない像に縛られている様子が、なんだか気持ち悪かった。
サンタクロースは赤い服を着て、ソリに乗っているおじいさん。それだけではない。それだけでなくて良い。少なくとも私はそう思っている。