「クリスマスくらいはちゃんとせんとと思って」
2、3年前に実家に帰省したとき、何かの会話でふと母の口から洩れたこの言葉に、私は少し切なくなったことを覚えています。

女手一つで子育てする母に、クリスマスや誕生日の過度な期待はしない

私が7歳のときに離婚した母は、女手一つで3人の子どもを育てました。働きながらたった独りで子育てをする母に余裕がなかったことは、7歳の私も幼いなりに理解していました。
合理的で現実主義者の母は、私に同じような経験をさせたくないという思いからか、私に夢を見せるようなことを言ってこなかったと思います。
だからか、もちろん子どもなりのわがままもたくさん言ってきましたが、誕生日もクリスマスも、最新のゲームや流行りのおもちゃがもらえる、というようなことを期待したことはありませんでした。けれども、誕生日もクリスマスも私はとても楽しみにしていたのをよく覚えています。

我が家のクリスマスといえば、24日の夜、学校から帰ってきたらいつもよりちょっと豪華な夜ご飯を食べて、ホールケーキをみんなで分けて食べて、祖父母と合流し車で1時間ほどの場所にあるイルミネーションを見に行きました。

きらきらと幻想的な世界に心が躍ったあの心情は、今でもよく覚えています。そのあとデパートでかごいっぱいのお菓子を買ってもらい、今年のサンタさんは何を持ってくるだろうと目をこすりながらうちに帰りました。

母からのプレゼントは、今も私の心を温かくほどいてくれる

25日の朝には必ず、枕元にクリスマス柄の包装紙が巻かれたプレゼントが置いてありました。いつかの年には、枕元に手紙が置いてあり、宝探しのようにプレゼントを探した覚えもあります。

プレゼントは、洋服とお菓子の詰め合わせだったり、少し大きくなるとCDや英和辞典だったこともあります。大人になって働くようになり、世の中の決して綺麗ではない部分が見えるようになった今、私の心を温かくほどいてくれる想い出です。
もちろん、同級生たちのように、自分がずっとほしかったおもちゃやゲームをもらうことがうらやましくなかったわけではありません。けれども、サンタが母であることに気づく頃には、家計をやりくりしながら、忙しいながらにケーキを準備し、子どもたちに気づかれないようにプレゼントを準備した母の、めいっぱいクリスマスを楽しんでほしいという思いを痛いほどに感じとっていました。

そこまで無理しなくていいのにと子どもながらに思っていたことは、もしかしたら母に伝わっていたかもしれません。それでも、母は毎年必ず楽しいクリスマスをプレゼントしてくれました。
思い返せば、もっと素直に喜んでよかったのだと思います。きっと、母にとって私たちの喜ぶ顔が一番だったでしょうから。

どんなプレゼントも敵わないほどの、大きくて強い愛を注いでくれた

私と弟が大学に進学し、現在妹と2人暮らしの母は、クリスマスにもうホールケーキは買っていないようです。2人だと食べきれないでしょうし賢明な選択だと思いますが、きっと今までは、母親として何かしてあげないとというプレッシャーから頑張っていた面もあるのではないかと思っています。

母にはたくさん怒られてきたし、大人になった今でも喧嘩をすることもあります。
けれども、2、3年前の母のあのひとことをきっかけに、母がどんなプレゼントも敵わないほどの大きくて強い愛を注いできてくれたことを、ふとしたときに実感するようになりました。もうすぐ妹が家を出ますが、そのあと母は自分の誕生日やクリスマスにケーキを買うことはあるのでしょうか。

先日、人生で初めてのボーナスが出ました。まだまだ未熟な私には豪華なプレゼントはできないけれど、今度は私がクリスマスに母の喜ぶ顔を見たいと思っています。