小さい頃、クリスマスイブになるとサンタさんに手紙を書いていた。
少しでも喜んでもらえるように、シンプルに書くだけじゃなく切ったり貼ったりと創作した年もあった。イブの夜は妹と夜更かしして手紙を作成していた。
サンタさんは手紙にないことも知っていて、煙突がない我が家にもくる
サンタさんはプレゼントを置いていてくれているが、自分がお願いしたものと違うことが多かった。
手紙を読んでいないのか、はたまた欲しいプレゼントが手持ちにないものなのか、値段の問題か。それでも、もらえないことを考えるとずっと嬉しかった。
そして、なぜか私が好きなキャラクターを知っていた。お願いしたものではないし、一言も手紙に書いていないのに。
サンタさんには自分の日頃の生活が見えているのだろうか。私の日頃の行いでプレゼントされるものが変わってくるのだろうか。それだったらいい子にしていようと思った。
最大の疑問は、サンタさんはどうやって家の中に入ってくるかだった。
私の家には煙突がない。真冬の夜に窓を開けてるわけがなく、完全に閉め切っている。サンタさんには特殊能力があって、すり抜けてくることができるのだろうか。
夜空を眺めては、そりに乗ったサンタさんがトナカイを引き連れて走ってないかなぁと物思いに耽った。
押し入れから見覚えある手紙。サンタさんの正体はお母サンタだった
目覚めるとプレゼントは置かれていた。でも、サンタさんの姿を一度も見たことがなかった。近所の子のところにもサンタさんは来ていたようだが、見たという子は誰もいなかった。
寒くなってきたある日のことだ。押し入れから布団を出すと見覚えのある手紙が出てきた。私がサンタさんに書いた手紙だ。
サンタさんは手紙を落としてしまったのか?そもそも手紙は持って行っていないのか?色々な感情が湧いた。
サンタさんの正体はお母さんだった。お母サンタだった。
夜寝ているのを確認して、そーっと置いたんだろうと思うとよく起きなかったなあと思う。
結局のところ、サンタさんの正体は1人だけじゃなかった。みんなにもそれぞれ違うサンタさんがバレないように来ていたのだろう。
サンタさんが来なくなってから、クリスマスは特別な日ではなくなった
もう私のところにはサンタさんは来ない。来なくなって長年経つ。私がサンタさんの存在に気づいたあたりから来なくなったように思う。
そうなってからはクリスマスは、自分にとって特別な日ではなくなった。子供の頃はそわそわとしていたが、今となっては普通のなんてことない1日になった。
街中でクリスマスソングが流れているのを耳にして、そういえばそんな時期かとクリスマスが近づいてきていることに気づく。
そこに嬉しさはなくてもう年末で今年が終わるんだという虚無感にとらわれる。今年1年間で何か進歩しただろうか、今年の1年間を振り返り反省する。だから、今はクリスマスソングが流れているとどちらかというと憂鬱になる。
未婚子なしの私はサンタさんになったことがない。でも同世代の中には自分がサンタさんになっている子もいる年齢。そう考えると月日が経つのはあっというまに感じる。
今年のクリスマスもたくさんのサンタさんが、子供にバレないように気をつけながらプレゼントを置くのだろう。