「サンタさんがうちに来た!」

クリスマス後の某日。齢5歳のわたしは、この事実を幼稚園中の友達、先生、果てはバスの運転手さんにまで、ひたすら触れ回った。喜びと、驚きと、少しの優越感を持って。

当時の私は、純粋さでは右に出るものがいないほどだった

12月、幼稚園ではサンタさんが私たちのもっぱらの関心事であった。
「〇〇のおもちゃをもらえたよ」「枕のところに靴下を置くんだよ」「サンタさんにお手紙を書いたよ」等々。聖なる夜に現れるその人に、誰もが期待していた。
帰宅後、私は母に「サンタさんに手紙を書きたい」と伝えた。私の頭の中には、欲しいプレゼントが浮かんでおり、覚えたばかりの平仮名を使って一生懸命に手紙を書いた。

ある日、幼稚園では「サンタさんはいない」と主張するものが現れた。その主張は「家にどうやって入るんだ」「手紙は親が読んでる」等である。今思えば真っ当な主張だったが、当時はとても珍しく、皆がこぞって否定したため一大論争となった。

しかし私は依然として「サンタさんはいる」派だった。当時の私は純粋さでは右に出るものがいないほどだったので、「いない」派の主張を受けても真摯にサンタさんの存在を信じていた。だから母にも、自分がどれだけサンタさんを楽しみにしているか話し、クリスマスイブに枕元に置く靴下を一生懸命選定し、ひたすらその日を待ち焦がれていた。

靴下の中には、昨日自分が入れた手紙とは違う紙が入っていた

12月25日朝。目が覚めて一番に、枕元の靴下に目を向けた。

何もなかった。

欲しいと記したのは当時流行っていた着せ替え人形。少し大きな箱だから、もしサンタさんが届けてくれたなら一目瞭然で分かるはずだった。サンタさんはうちには来てくれなかった。もしくは、サンタさんは、いない?
呆然としながら靴下の中に手を入れた。何かあるかもしれないと信じたかった。するとそこには、昨日自分が入れた手紙とは違う紙が入っていた。

「〇〇ちゃんへ」

見たこともない文字だった。サンタさんだ。感情が溢れ出しそうになった。叫び出しそうな気持ちを抑えて手紙を開けると、そこにはこう記されていた。

「〇〇ちゃん、おてがみありがとう。プレゼントのことは、ママにつたえました。おしょうがつに、ママからもらってください サンタさんより」

サンタさんは私の手紙を読んだ!ママとも喋ってる!すごい!

純粋さが群を抜いていた私は、興奮したまま母のもとにいき、サンタさんと話したかと尋ね(もちろん母は話したよと言ってくれた)、舞い上がって手紙を母に自慢し、そのまま冬休み保育の幼稚園へと向かった。そして冒頭の発言に繋がるのである。

ごまかされていたが、ねだったプレゼントを貰うことはなかった

サンタさんがいないと主張する子にはもちろん、サンタさんからプレゼントを貰えたお友達にも、私がもらったこの手紙こそが、1番のサプライズだと自慢したかった。サンタさんが家に来た証明を持つ自分が、一番すごいのだと、心から信じていた。
私は意気揚々と手紙を見せ、皆はサンタさんからの手紙の現物に驚き、そしてすごいと褒めてくれた。私はとても誇らしい気持ちになって、クリスマスを終えることが出来たのである。

お察しの通り、サンタからの手紙を書いたのは母である。さらに当時の私はごまかされているが、私が欲しいとねだったプレゼントを貰うことはなかった。
お正月には「ママの夢の中にサンタさんが出てきて、夏休みに持ってくるね、と言われたよ」とはぐらかされ、同様に夏休み・次のクリスマス……と有耶無耶にされたのである(ちなみにその時も私は「ママとサンタさんは夢でお話しした!」と感動しただけだった)。
大人になり当時のことを母に尋ねたところ、何の悪びれもなくあの手紙を書いたのは自分だと話し、単純な子で助かったとまで言われてしまった。母の作戦勝ちである。

ここまでが、私のクリスマスエピソードの全てだ。このエピソードは、クリスマスにまつわるおもしろエピソードとして私の十八番になっている。

生まれた時から、母が大切に想い続けていることを知っている

しかし、私はこの話をするたびにいつも心の中で想うことがある。
サンタを装って、プレゼントをごまかした母。だけどその実は、サンタを楽しみにしていた私を傷つけないように、サンタのフリをしてくれたのではないかということ。

当時、私の家庭は金銭的にも、おそらく精神的にも余裕がない状態だった。私と弟を育てるために、母は毎日、朝から晩まで働いていた。
これは想像だが、私がサンタからのプレゼントをねだったこの時、私と弟のプレゼントを用意することが出来なかったのではないかと思う。事実、プレゼントは有耶無耶にされて終わった。

しかし、母はそんな中、サンタのフリをして私と弟に手紙を書いてくれた。字体も変えて、ちょっといびつなイラストまで書いて、たとえプレゼントがなくても落ち込まないように、私がサンタはいると信じ続けられるように、母はサンタに成りきってくれた。そしてその通りに、私が悲しい思いをすることは少しもなかった。
たとえ一時のごまかしだとしても、母が手紙を書いてくれたおかげで、私は傷付かず、楽しくクリスマスを終えることが出来たのだ。

母は昔も今も不器用で、言葉足らずで、私とはすれ違いや喧嘩も絶えない。それでも、母は私のことを、私が生まれた時から大切に想い続けているということを私は知っている。不器用にもサンタに成りきってくれたことがその証明だ。

これを思い出す度、私は母の優しさを感じることができる。だから私は、クリスマスにはいつもこれを話さずにはいられないのだ。

「サンタさんがうちに来た!」