ドタバタの最中だったので、妊娠発覚に戸惑いは隠しきれなかった
2022年、私は母になる。
2021年は時の流れが怒涛のような年だった。
その前の年に恋人と結婚を決め、年明けに双方の親に挨拶し、諸々の手続きを済ませ、結婚関連のことが一通り落ち着いたかと思えば妊娠発覚。
もちろん喜ばしいことではあるが、如何せんドタバタの最中だったので、戸惑いを隠しきれなかったことは本音である。
それでも、段々と妊娠週数を重ねていくうちに、実感と喜びが現実味を帯びていき、ようやく落ち着いてきた今日この頃。もう2021年終わってしまうな、とふと気が付いた。振り返ってみると、とにかく周りの人に支えてもらっているなということが身に染みた一年でもあった。
生活がままならない毎日。悲観的になり、ネガティブな発言ばかりで
妊娠発覚してからというもの、悪阻がとにかく酷かった私は、妊娠4ヶ月にして入院になり、どん底の日々を送っていた。何を食べても戻し、水すらも飲めず、点滴からしか栄養補給が出来ない為、絶食。スマホも見ることも辛く、感染症対策で旦那も母も面会できず、辛い入院生活。
ようやく退院しても中々悪阻は終わらず、実家に里帰りして療養したりして約半年は体感として寝込んでいた。
飲食のホールで働いていたので当然、仕事も辞めざるを得なくなり、突然専業主婦になった。何をするにも辛く、仕事も出来ず、家事も出来ない。生活がままならない、そんな状態の毎日で、私は悲観的になり、常にネガティブな発言ばかりしていた。
そんな中、私の親は対照に楽観的であって、何とかなるよと落ち着かせてくれ、それがすごく私の励みになった。旦那は旦那で突然の入院や離れて暮らす生活に戸惑いはあっただろうけれど、文句も言わず、里帰りから帰っても率先して家事を請け負ってくれた。
友人からもメッセージや電話で励ましてもらったり、話をしてもらったりと、心を強く保てたのは本当に周りの人たちのおかげだと思う。
一番の目標は、自分の母親のようになりたいということ
妊娠が発覚して、最初に思ったことは、「どんな母親になりたいか」ということだ。
優しい母親、教育熱心な母親、完璧な母親。色々な母親像が浮かび上がるが、何と言っても私にとっては自分の母親のようになりたい、ということが一番の目標である。
私の母親は一言で言うなればつよい母、だ。楽観的に物事を考えることが多く、常になんとかなるの精神で育ててくれた。
例えば私が友人と喧嘩をして関係性で悩んでいた時、電話しようかとか明日からどうしようかと迷い、相談した結果の母の答えは「放置しよう」。時が解決するでしょ、というなんとも大らかな母らしい回答に、それもそっかと納得し一旦忘れることに決めた。
そうしたら、本当に時が解決というか、既に次の日には友人もけろっとしており、すっかり仲直りしたということがあった。
不安を消し飛ばしてくれる、母のつよさがあったからこそ
結婚の一番の決め手も、母の一言だった。
優しいけれど仕事が上手く行っていない、はっきり言えば安定していない恋人と結婚をしていいものなのか決めかねている時に、これまたお得意の母の「なんとかなる」が染みたのだ。
いくら稼いでいても、私のことを大切にしてくれない人との結婚は認めないけれど、そんなことはなく、ただただ優しいのだから仕事なんかいつかなんとかなるよと背中を押してくれ、結婚を決意できた。
どれもこれも、私の不安を消し飛ばしてくれる、母のつよさがあったからこその出来事である。
現在妊娠9ヶ月。あと少し、2022年になってからはすぐの出産予定となるが、はっきりいって不安の方が大きい。
それでも支えてくれる周りの人たちがいて、環境があって感謝し続けるために、私はつよい母にならなければならない。
つよい母というのはメンタル面ももちろんそうだけど、逞しく愛する我が子を守っていきたいという気持ちでもある。
2022年はあらゆる意味で私自身が生活に食らい付いて、成長していくしかないという決意の年になるだろう。