2021年の私は、働きに出られなかった。
2020年末に解雇になり、一年勤め先を見つけることができなかったのだ。
様々な面接を受けても採用されず、様々な在宅での仕事を始めることになったが、収入としてはまだ不安定。収入が0の月もある。
貯金を切り崩していく生活に、いつしか“欲しいもの”なんていう概念がなくなって、面白みのない人間だとも言われた。

手に職がない日々は精神を消耗し、幻聴が精神を蝕んでいく

手に職がない日々は精神を消耗していく。
金銭的余裕のなさもあるが、私的にはそれよりも他人の目や声にいつも責められるような幻聴に精神を蝕んでいった。
職業を聞かれるたびに、コンプレックスで胸が痛む日々。
だが、私が一番つらかったことは、他人の目から見て、仕事をしていない自分がしんどいと感じてはいけないという自責だった。
同居人は仕事をしている。
私は在宅ワークの傍ら、家事に勤しむ日々を過ごしており、私への不満は決して言わなかったものの、同居人が毎晩こぼす仕事への不満や愚痴に自分が責められている気分で肩身が狭かった。
仕事はしんどいだろう、だから夜くらい吐き出させてあげたい。
それが私が感じている負い目に対してできる、唯一の償いのようにも感じていた。
同居人の不満を聞くのは精神的負担が80%を占めていたが、聞くことによって自責の10%を浄化しているつもりでいたのだ。

在宅ワークに対する同居人の不満は、心を踏み抜かれ涙が止まらない

月日は流れ、在宅での仕事も積み重ねから少し兆しが見えてきた。
勉強し、たくさんの失敗を重ねながら、何度転んでも挑戦して自分のスキルで何かを作り上げる孤独な作業であったが、自分のスキルを誰かに求められる喜びを感じ始めた頃、同居人は堪忍袋の緒が切れたように私の在宅ワークに対して不満を呈してきた。

感じているだろうというのは、いつも心にあった。
決して言わないが、毎晩言われているように感じていた。
いや。自分が誰よりも責めていたのだ、自分の現状に。
分かってはいたが、一番誰にも触れられたくなかった地雷源を嘲笑うように踏み抜かれ、私はその日から毎日涙が止まらなかった。

顔も合わせられない、顔を合わさなくとも存在を頭に思い浮かべるだけであの瞬間の言葉がフラッシュバックして、涙が止まらない日々を過ごした。
在宅ワークも、もちろん大変な業務がある。
だが、私がしんどいと言ってはいけない、思ってはいけない、という自制心にくわえて自責心がずっと根底にあったのだ。
不満をこぼす先がない状況が長く続き、消耗しきった心は脆く、簡単に崩れていった。

同居人や他の誰よりも、私が自分の存在を一番認めてあげられなかった

私は本来、生粋の自信家だ。
だが、2021年は自責するばかりで、私の人生で一番努力・挑戦した年であったのに、自分の努力をないに等しいものと吐き捨ててしてしまっていた。
同居人よりも、他の誰よりも、私自身が自分の存在を一番認めてあげられなかったのだ。

誤解のないようにお話しするが、私は在宅ワーク・家事をしている方は本当に尊敬しているし、働くことが難しい方に対しての非難する気持ちは全くない。
ただ、”自分”であったから責めてしまった。

だからこそ宣言しよう。
2022年、私は過去最高に自分を誇れる私になる!
2021年の足掻きも無駄ではなかった、ようやく兆しが見えてきたのだから。
私は、自分が大好きな自分が好きだ。
一年間、欠片も忘れてしまっていたこの感情を少しずつ掬い上げて、眩暈がするほど自信をバラまいて突き進んでいこう。
もう暗闇で怯える日々を捨てて、明るい未来を掴みとる時が来た。
2021年の私に最大の感謝と賛辞を。
2022年の私、自分を信じて、幸せはもうすぐそこに!
もう迷わない。
どんな道を選んでも、私は、私を愛している。