「まだそうやって自分中心に生きるんだね。俺たちもう家族なのに」
これは最近言われた夫からの言葉だ。家庭を持つ人間は、自由に生きることは許されないのか。

趣味の時間を大切にしてきた私が結婚。彼といる時間に感じる幸せ

私はある田舎の、ごく普通の家庭で育った。大学進学を機に、都内で四年間一人暮らしをしていた。今思えば、人生で一番自由で贅沢な時間だったかもしれない。
主に、田舎に住んでいた頃は気軽に行けなかった、憧れのライブ・観劇・イベントに多くの時間とお金を費やした。それは田舎にいた時は考えられないような頻度ではあったが、それを咎める人はいないし、同じ趣味の人達の間では決して高くない頻度だったと思う。

卒業後は地元の企業へ就職し、実家暮らしを始めた。
学生の頃のように、頻繁にライブ・観劇・イベントに行くことはできなくなったが、休みの日や有休を駆使して、どうしても行きたいものは遠征して行っていた。家族は内心「また東京に行って……」と心配して(というよりあきれて)いたかもしれないが、私に直接言ってくることはなかった。家族からどう思われているか、という罪悪感は抱えつつ、自分で選んだことだから、と言い聞かせ過ごしていた。

数年前、遠距離恋愛の彼氏からプロポーズを受けて、都内の企業へ転職・再び上京した。学生時代から付き合っていた彼氏だった。
数年の同棲期間を経て、今年晴れて入籍し、名実ともに“新しい家庭”を持つこととなった。彼と一緒に暮らし始めて、一人暮らしや実家暮らしにはない楽しさや幸せを感じ、一緒になれてよかったと思う。

コロナ禍ではじまったイベント配信に、夫はいい顔をしなくなり…

一方、言ってしまえば「他人」の夫と、生活を共にするのは大変だった。数年経った今は慣れてきてはいるが、違う環境で育った私たちはお互いの「普通の基準」がそもそも違う。掃除・洗濯の頻度や求める完成度、食器洗いの方法など……。生活の中で様々なトラブルを経験し、少しずつお互いのことを理解できてきたように思う。

そんな中で予想外の出来事が起きた。新型コロナウイルスの世界的流行である。

当初、上京したからには、趣味のライブ・観劇・イベントも、当たり前に行くつもりだった。しかし、コロナ禍ではそういった文化・芸術に関わるものは二の次として、中止・延期を余儀なくされてしまい、私自身苦しく辛い日々が続いた。
しばらくすると、“イベントのライブ配信”が新しい選択肢として目立つようになった。

有難くライブ配信の恩恵を受けていた私だったが、その頻度が高くなってくると、夫は良い顔をしなくなっていった。
「別に見るのはいいけど、〇〇はちゃんと終わらせるんだよね?」(当時夫婦二人でやっていた投稿活動の催促)
「何時までやるの?」「ライブ終わりそうになったら教えてって言ったじゃん」(終了時間未定のライブ等も多かった中、時間を教えるよう言われた)

イベントに行くたびに言われる文句。いつしか「嘘」をつくように

私の過失もあったが、“週末に二人の時間が取れないから”という理由で不機嫌になることが増えていった。この状況を受けて、リアルタイムでイベントに参加できることが醍醐味のライブ配信だったが、徐々に“リアルタイムは諦めてアーカイブ配信を一人の時間に見る”ようになってしまった。本当はリアルタイムで見たいのだが。

今年になって、徐々に有観客のライブ・観劇・イベントが復活してきた。私も少しずつイベントに行くようになったが、
「俺より俳優との時間を優先するんだね」
「今月、何回目?」
イベントに行くたびに文句を言われ、家の中は険悪な雰囲気になった。そう言われると私は申し訳ない気持ちになる一方、なぜそんなことを言われなくてはいけないのか……今まで普通にやっていたことなのに……共同生活とはそういうことなのか……と夫を恨むと同時に自己嫌悪に陥った。
次第に、「友人と買い物に行く」等と偽ってイベントへ行くようになった。嘘をつくのは正直辛かったが、“必要な嘘だ”と自分に言い聞かせた。

しかし、今年の夏に入籍し、「夫婦になったのだから、隠し事は良くない」と思い直した。出来る限りちゃんと本当のことを言って、夫婦として、ちゃんと彼と向き合おうと思った。その矢先の出来事だった。

「子どもができたらどうするの?」彼の言葉に、突然不安を感じた

先日、ある“どうしても行きたいイベント”の開催が決定した。しかしそのイベントはクリスマス当日の開催だったのだ。
「クリスマス、一人でイベントに行きたいと言ったら嫌な顔をされるだろうな……でもどうしても行きたいし……とりあえず相談してみないことには始まらない……」
そう思って相談すると、冷たい声で、こう返ってきた。

「まだそうやって自分中心に生きるんだね。俺たちもう家族なのに」

話を聞けば、彼はどうやら、かねてからクリスマスの予定を何か計画していたらしい。それは申し訳ないと思った。クリスマスを特別にしようという、彼の気持ちを結果的には無下にしてしまったから。しかし続けてこうも言われた。

「子供ができたらどうするの?それでもイベントに行くの?」

私は「その時は子供優先だから、それは諦めるよ」とムキになって返したが、急に不安になった。
生き甲斐ともいえる私の趣味だが、子供ができたからといって、本当に諦める必要があるのか。私から趣味を取ったら、一体どうなるんだろう、と。

自分も、周りの人も幸せであるために、上手に生きる方法を探していく

子供ができたからといって、続けられない趣味ではない。だが、ある程度制約されてしまうだろうし、子供のためにも我慢するべき場面はあるだろう。
……我慢?なぜ?私の人生なのに?夫や子供のために、家庭のために、自分を犠牲にする必要があるのか?
……でも私の両親はそうだったじゃないか。子供のために、子供第一で動いてくれる優しい両親だった。私もそうなりたいと思っていた、はずなのに。

夫の顔色を伺いながら、自分の幸せを探す日々はまだまだ続きそうだ。
私は幸せになりたい。自分も、自分の周りの人も幸せであるべきと思う。だからこそ私は、できる限り我慢をすることなく、欲しいものを手に入れるべく、上手い方法を模索しながら生きていく。