我が家では父が六法全書であり、父のルーティンがそのまま家族全員の時間割だった。
何をするにも父にお伺いをたて、許可を得なくてはならない。門限はもちろん、朝の洗面台を使っていい時間、風呂を出る時間まで決まっていた。

父の機嫌を悪くしないように行動する毎日に、コロナ禍がやってきて…

基本的には穏やかだが、神経質で几帳面な父は、自分のリズムを狂わされることが何よりも許せない。だから私と母と弟は、父が仕事から帰ってくると、なるべく彼の機嫌を悪くしないように慎重に行動した。
それでも平日は学校があるし、休日はバイトや遊びに出かけられた。家の中の緊張感に耐えなければならないのは夜だけだったので、まだなんとかやれていた。コロナ禍が始まるまでは。

普段は職場や学校に行っている家族が、全員家にいる生活が始まった。
もちろん父も四六時中いる。GO TOキャンペーンが始まり、世の中が少しずつ動き出しても我が家の外出禁止令が解かれることはなかった。
日中に近所に買い物に行くくらいは許されたが、友人に会いに行くことはできなかった。

コロナ前は22時前後だった門限は18時半となった。夜の街に行くとコロナに感染するというのが父の考えだったからだ。
厳しい制限を設けるのは、家族を心配してのことであるのは理解しているつもりだった。しかし、突如オンラインになった就職活動でただでさえ疲労困憊なのに、常に父の機嫌にもアンテナを張る生活はしんどかった。

何より大学生活最後の一年が、このまま家の中だけで終わってしまうかもしれないということがつらかった。

父に伝えた「一緒にいるのが苦しい」。物理的距離を取ることに

ちょうど一年前の今頃からだった。ふとした拍子に泣いてしまうようになったのは。
外に出ることで発散できていたストレスが、涙となって流れていく。

徐々に増えていく友人たちの楽しそうなSNSの投稿。そこに私は行けないことへの寂しさや怒りも、日に日につのっていた。2021年になり、卒業論文を提出した後に私は爆発した。
隣の部屋に父がいることもお構いなしに、毎日声をあげて泣くようになった。暗い自室で物を投げながら、髪を掻きむしりながら、泣くことしかできなかった。

見かねた母に手伝ってもらい、父にこれまでの思いを伝えることになった。父と向かい合い、一人暮らしをしたいと伝えた。
ずっと我慢していたことを洗いざらい話した。門限が周囲より早く、どんなに楽しくても自分だけ一人で先に帰らなければならないのが嫌だったこと。父が物音を立てるたびに、怒られるのではないかと怖くなり泣いてしまうこと。
3時間ほど話してそれでも納得しない父に、「お父さんと一緒にいるのが苦しい」と告げた。「そんな思いをさせていたことは知らなかった。ごめんな」と言われ、やっと私は父と物理的に距離を取ることになった。

実家に戻ると笑顔で迎えてくれた父。今では父に会うことが楽しみに

春先に一人暮らしを始め、私は徐々に回復していった。誰にも許可を取らなくても、好きな時間にコンビニに行ける。お風呂も洗面台もいつでも使える。物音がするたびに怖がらなくていい。
仲の良い母になかなか会えなくなったのは寂しいが、初めて得た自由な生活への喜びの方が上回った。

一人暮らしに慣れた頃、私の誕生日だったので実家に戻った。たった数ヶ月しか経っていないのに、駅からの道が妙に懐かしい。家に着くと父がこの上なく優しい笑顔で迎えてくれた。それまでほとんど笑った顔を見たことがなかったので、面食らった。
私がなんとか一人でやれていると話すと、安心した顔で頷き、はじめて緊張することなく話すことができた。一緒にいるとしんどいなんて言ったのに。
これまでのことも、悪気があってしたわけではないのかもと、その笑顔を見ていて思った。実家にいる頃は顔を合わせたくなかったが、今では数ヶ月に一度、父に会いに実家に帰るのが少し楽しみになっている。
離れているからこそ、うまくいく家族もあるのだ。少なくとも私の場合は。