クリスマスにプレゼントがもらえたのは、いつまでだろうか。具体的に何歳までもらえていたかは全く記憶にないが、何をもらったかはなんとなく覚えている。これまでもらったプレゼントのなかで、我が家らしく、多くの家庭ではなかなかしないであろう体験を語ってみようと思う。

中学生の時のサンタさん。クリスマスプレゼントは「軽い」

中学生になっていただろうか。クリスマスイブ、いつものように布団に入った。何がほしいかなんて親に聞かれることはなかった。自分からねだる年齢でもないと思った私は、大きな期待はせず、いつもと同じ様に眠りについた。
翌朝、目を覚ましてあたりを見回す。このとき、すこしワクワクしていたのは隠しきれない事実だ。寝起きのぼんやりとした視界の中で、手でラッピング袋の感触を探り、耳でクシャっという音を探していると、布団の横においてあるソファーに小さなラッピングされた袋を見つけた。
今年もプレゼントがおいてあることに嬉しさを感じ、安堵を覚えながら、その袋を手に取る。持った感想は、「軽い」。
人は、プレゼントをもらった時、内容がわからないためか重さで良し悪しを判断する傾向にある。人間の悪い癖だろう。その悪い癖が、私にも出てしまった。
「軽いなら、大したものは入っていないな」「手紙だけとかだったらどうしよう」なんて、期待していないはずなのにちゃんとプレゼントはもらいたいと思っている自分に、まだまだ子供なんだなと呆れながら、ラッピング袋を見つめていた。

布団の上で、思わず笑い転げたクリスマスプレゼントの中身

けれど、思い直す。
「軽いけど、重さだけじゃないから。内容がどうかで判断しないと」
半分自分に言い聞かせるような言い方で、心の中でつぶやく。そして、意を決して、ラッピングの紐を解いた。
中には、立方体に近い箱と縦長の封筒が入っていた。ステラおばさんのクッキーと5000円札だった。固まった。え?現金?
けれどすぐに、笑いがこみ上げてきた。
「クリスマスに現金を渡すサンタっているの!?」
瞬間的に笑いがふきだして、しばらく布団の上で笑い転げる私。
昨年までは、私の好きなアイドルのライブDVDを毎年1作品ずつくれていた。そのサンタが今年は現金。ネタ切れ感ハンパないな、と思いつつ、DVDシリーズは最新のものまで揃っていたため仕方ないか、とも思った。
お金も5000円。DVDの値段と同じくらい。クオリティーはさておき、かかったコストは変わらず。お菓子と一緒に袋の中に入れたのは、現金だけだと後ろめたいと思ったからだろうか。スーパーに売ってるお菓子じゃん、と思いながらも子どもながらに微笑ましくなった。
もちろんそのクッキーは美味しくいただいた。

ウチの親らしい、コスパのよいプレゼントは名案だと思う

この当時は、「サンタって親なんでしょ?」とたかをくくっていた年齢。今となってはそれが当たり前の真実になっている。そして、親の気持ちも少しずつ分かるようになってきた今、改めて振り返ってみると、“ウチの親らしいな”と思う。
子どもが欲しい物をねだらなかったから何もなかった、とはせず、かといって親の方からしつこいほどリサーチしてくるわけでもなく、親がイメージでこういうものがほしいのだろうと考えた“物”をあげるでもない。
この季節特有の、おもちゃ屋さんのレジの行列に並ぶなどはせず、あれこれ期待が外れる心配をしながらプレゼントを選ぶこともない。考える時間と労力を限りなく省いた、コスパのよいプレゼント。名案だと思う。

クリスマスの思い出は、不思議な体験に彩られている

その一方で、学校で話す話としては浮きすぎて、何もなかったと言うしかなかったけれど。同じことを、将来自分の子供にするかといったら、しないだろう。さすがに考えるか、さりげなくかつ周到にリサーチするだろうとは思う。多くのご家庭がきっとそうしているはずだ。
我が家は特殊なケースだったとは思う。けれど、いつか起こりうることだったのかも知れないとさえ思えてくる。親を見ていると、必然だったと感じることが多々あるのだ。ユーモアがあるのか、単純に遊んでいただけなのか。それはあえて聞かないことにしよう。
今でもクリスマスは心が躍る。けれど大人になって、一人暮らしをしていて、当然ながらプレゼントは届かない。それでも心が躍るのは、子供の頃のワクワク感を忘れていないから。
それと同時に、こんなヘンテコな思い出が一緒にいてくれたからなのだと思う。私のクリスマスの思い出は、季節が連れてくるワクワクと、不思議な体験によって彩られている。