私は、インドア派を代表してもいい程に、家にいることが大好きである。
近年では、コロナ禍で自粛が生活の主となったが、そんな状況でも家にいることが好きな私は、苦にならないと思っていた。

インドア派なのに、大好きな家にいる時間がストレスになっていて

コロナ禍真っ只中に医療従事者として入職した私は、いつの間にか仕事でのストレスを溜め込んでいた。
仕事が終われば家に帰り、寝るとあっという間に次の日が来て仕事へ行く。休日は、もちろん家にいた。何をするわけでもなく、ただ時間だけが過ぎる時間を家で過ごしていた。
そんな、誰とも関わらない時間を過ごしていたら、精神疾患になっていた。大好きな家にいる時間が、自分のストレスを溜めていたのかもしれない。

精神疾患になった私は、さらに社会や人との関わりが面倒になった。休職し、家で過ごす時間が増えていく。
ADHDの検査をしたときに診断はされなかったものの、医師に言われた。
「ADHDではないけど、引きこもり気質なんだね」と。
根っからのインドアだということが大々的に証明された瞬間である。

自宅療養中、社会に出ていたときに比べて、私の視野は自宅の中までに狭くなっている。周りなんて見えないし、頑張っている人ばかり目について、目を逸らしたくなることばかりだった。そんなときに思うのだ。自分はひとりだと。

わたしには、幸い連絡をくれる人たちがいた。携帯の狭い画面からでも、視野は一気に広がっていく。そして気づくのである。ひとりではなかったと。
アルバイト時代の社員が、一緒に出かけようと声をかけてくれた。普段から年下の私は何もせず、全てお任せなのだが、今回は自分から行き先を提案した。行き先以外は、ノープランである。

広がる優しい世界は、忙しなく動いていた時計の針が止まったようで…

久しぶりの外出。電車を乗り継いで、待ち合わせし、行き先へと続く鉄道に乗り換える。
ICカードは使えず切符を買わなければならなかったのだが、券売所のおばちゃんが買い方を教えてくれる。慣れない券売機に、危うく電車を逃すところだったが、券売所のおばちゃんが電車を止めてくれていた。1分1秒の乗り換えが命取りの社会人たちが行き交うホームから、一歩改札を出たら優しい世界が広がっていた。

2車両しかない鉄道は、ビルが一切ない畑の中をゆっくりと走っていく。普段では電車で数十分の距離であろう距離を1時間程乗っていると駅に着く。駅には観光目的で訪れている人がたくさんいた。ノープランの私たちは、人の流れに沿ってどうやら観光地に着くらしいバスに乗り込む。

降りたバス停からしばらく歩くと、緑の木々と渓谷が広がり、その中を大きな滝が音を立てながらゆっくりと流れ落ちていた。その滝が行き着く先には湖が広がり、子供たちが水遊びをして楽しんでいる声が聞こえる。その中で私たちは澄んだ空気を吸いながら、流れる滝を眺めている。今まで忙しなく動いていた時計の針が止まっているように感じた。

しばらくして、湖の先に続く小川の流れに沿って、遊歩道を歩き始めた。
すぐ横を流れる小川は、後ろから流れてくる水の圧力で小石を難なく越えて流れていく。滞ることなく、流れていく美しさがあった。辺りを包む霧が、より幻想的な雰囲気を演出していた。

ある程度歩いて、折り返し、小川の流れに逆らって歩く。さっきまで難なく小石を越えていた水の流れを180度角度を変えて見ることになったのだ。小石を越えようとするたびに水面が上がり、背後から差し込む光の反射でキラキラ光っている。
同じ道だとは思えない景色が、そこには広がっていた。

人の優しさに触れ、立ち止まっても変わらない大切なものに気付けた旅

一通り観光した私たちは、カフェで休んで駅に向かった。もちろん時間など気にしていない。駅に着くと、帰りの電車は出たばかりで次は1時間後だと案内される。辺りには時間を過ごすための場所はなく、駅のベンチに座り、途方に暮れていた。

駅の職員であろう男性が声をかけてくれた。
「近くの駅まで車で送ります。そこなら汽車が走ってて今なら間に合うから」と。
救世主である。その言葉に甘えることにした。

車の中では、世間話をたくさんしてくれた。なんでここに来ようと思ったのかと尋ねられる。
私には明確な理由があったので説明することにした。
「私が大学生の時、この土地のことを調べる課題があって、そのときに先生がこんなところがある。いつかみんなで行けたらいいねと言って紹介していたのが、この渓谷なんです」
大学時代に訪れることはできなかったが、こうして機会が出来たことは、とても嬉しかった。

運転をしてくれた人に感謝を伝え、私たちは無事に汽車に乗って帰ることが出来たのだ。旅先の空気も人も暖かかった。

私の人生も、周りの支援の圧力で一般のルートを難なく流れて来た。諦めずに滞らないことが当たり前だとされている風潮が、この世の中にはある。たしかに美しいと思うし、誰もがその美しさを目指している。

でも、振り返って角度を変えたら同じ道だとしても、違う景色を見ることが出来ると思う。小石を難なく乗り越えていたあの頃はキラキラしていたと思うこともあるかもしれないが、支えてくれる友達など、立ち止まっても、変わらないものも確実にある。

そんなことに気づくために、視野を広げることの出来る旅は必要だと感じる。