初めて観光地ではない、日本とは違う文化を持つ人々に出会った衝撃
「もう中国なんて行きたくない」
小学校5年生のとき、私は中国北部にある大連周水子空港の出国ロビーで私はそう母親につぶやいた。忘れもしない。夏の日のことだ。
私はその日、単身赴任をしている父親に会いに初めて中国に行った。そのとき私は初めて観光地ではない、日本とは違う文化を持つ人々に出会った。
それが衝撃で、当時の私には刺激が強すぎた。ずっと日本にいたい。そう思っていた。
初めて中国に行ったとき、私はまだ国が違うことによる差異をわかっていなかった。今のように外国語教育や国際教育がまだ小学校で充実していなかったせいもあったとは思う。母親が児童英語教師ということもあって、「文化が違う」ということはなんとなく理解していたつもりだった。
しかし、少しだけ知っていたことが、私が文化の違いを受容することを妨げていたのだと思う。
「知っている」からこそ怖くなることの方が多いのではないかと私は感じている。子どもがその良い例だ。幼い子どもは「怖い」ということを知らない。それは、何が起こったら自分にとって危険であるかをわかっていないからだ。
成長して恐怖や不安を抱くようになっても同じことがいえると思う。何もわかっていないときの方が私は躊躇なく動くことができる。何が起きるのかがわからず、それが怖いかどうかすらわからないからだ。
違う文化を持つ人を理解しようとすることが楽しいとわかった
このことを自分で自覚できるようになってから、私は初めて中国に行ったときのあの刺激を求めるようになった。なにもわからないまま、海外に飛びこむことがとても楽しく感じるのだ。
そして、高校生になった私の夢は「海外に住むこと」になっていた。さらに、大学では中国に関することを専攻し、1年で2回も中国に行くようになった。しかも、どれもガイドなどはいない、自力の旅行だ。
言葉を満足に話せない人がその国に行くことがどれだけ大変で危ないことか、私は分かっていなかった。当然のように事件はたくさん起こった。自分のあまりの無力さに、一日中ホテルのベッドで寝込んだ日もあった。
そんなことがあってもなお、私は海外に行きたいと思う。特に、中国が私のホットスポットだ。こんなにも海外に対する感じ方が変わるとは思ってもいなかった。そして、その理由は自分でもよくわかっていない。
しかし、はっきりしていることは、その根底には違う文化を持つ人を理解しようとすることが楽しいとわかったことがある、ということだ。
旅に出ると、知的好奇心でいっぱいになる。そんな私にまた会いたい
新型コロナウイルスが流行するようになって、私の旅行は2019年9月が最後になった。2020年2月には上海でフィールドワークをする予定だった。それを楽しみにして生活していた私は途方に暮れた。どうすればいいのか、もはやわからなかった。
その後、「夏には行けるだろう」「次の春には行けるだろう」を繰り返して、もう2022年になってしまった。私はどれだけ楽しみを諦めればよいのだろうか。
次第に旅行の計画を立てることすらしなくなった。「どうせまた無理だよ」が私の口癖になった。危険を顧みることをしなかった私はどこへ行ってしまったのだろう。旅をしているときのあのなんともいえない高揚感、幸福感を味わえないことがこんなにもつらいなんて。
「もう中国なんて行きたくない」
一度はそう言った私にとって、旅は人生を共にしていく相棒のような、それでいて人生の一部であるような、そんな存在になった。いつもは弱気な私だが、旅に出ると幼い子どものように知的好奇心でいっぱいになる。そんな私にまた会いたい。そのためには、どうしても旅をしなければならないのだ。
自由にどこにでも行けるようになったら、どこに行こうか。誰とこのわくわくを共有するだろうか。子どものような私にまた出会えるまで、どれだけの時間がかかるだろうか。
好きなときに、好きなところに行ける。そんな日が早く訪れますように。