人生って、人生ゲームみたいなものだと思う。
何が起こるかは分からなくて、ほとんどが運次第。すごろくの目で決まってしまう。
突然病気になって1回休みとか、お金が儲かるとか借金を負うとか、家族が増えたり減ったり。不幸が重なったと思ったら、一発逆転の1位でゴール。そういうこともある。

ゲームボードと自分のコマは選べたとしても、成り行きまでは選べない。そうやって、人生には、自分の意思ではどうしようもないことがたくさん起こる。
人と比べたって仕方のないことがたくさん起こる。
だけど、すごろくの目はもう運次第であって、それを完全にコントロールすることはできない。コマを動かしている私たちにできるのは、ただ成り行きを見守ること。そして、止まったマス目で起きたできごとに、どういう解釈を加えるかだと思う。

休学に対する人の反応はさまざまで、どんな解釈をするかは人それぞれ

私は3カ月前に、医療系の学校を適応障害で休学した。今も休学している。
始めは身内以外には黙っていたけれど、今はもう行く先々で、普通にオープンに話している。もちろん詳細に全部打ち明けたりはしないけれど、「医療系の学生なんですけど、挫折しちゃって。留年が決まったんですよ」くらいの感じでラフに伝えている。嘘ではない。

そのときに相手が見せる反応というのは本当にさまざまだった。大体の人は同情するか励ましてくれた。
だけど、その中でも特に印象的だったのは、商店街のおじさんが、「今、医療業界は大変じゃない。むしろ、卒業できなくてラッキーだったよ。君は正解だ」と言ってくれたことだった。
私はこのとき、何が起こっても、どんな解釈をするかは本当に人それぞれなんだと思った。
それまでは自分だけが、みんなと同じ道を外れてしまったような気がしていた。人生ゲームでいうと、休みのマス。他の皆が進んでいく中で、同じマスに止まり続けることになった。
でも、そのマスに止まったことが、もしかしたら自分にとっては正解だったのかもしれないと思えた。

予想しない出来事も、人生ゲームのコマと思えば大したことないのかも

私は今までの人生で、ここまで予想しない出来事に直面したことはなかった。
受験やテストなら落ちる可能性も分かっているし、大会でも負ける可能性を分かっていた。
だけど急にたくさんトラブルが起きて、長年の友人を失って、適応障害で入院&休学して、就職内定まで失うというのは、本当に予想しなかった。微塵も予想しなかったことが、こんなにたくさん一気に起こるというのは人生初めてのことだった。

だけど、これもある意味人生ゲームのコマだと思ったら、意外と大したことないかもしれないと思った。たまたまそういうマスに止まってしまっただけなのだ。今が停滞してしまったからといって、ここから先の人生で何が起こるかは誰にも予想できない。ある程度努力したのなら、あとは運次第だ。

人はきっと、こんなふうにして人生を学んで、挫折と成功を繰り返しながら強くなっていくんだと思う。そして、ある意味開き直りながら、苦い経験を乗り越えていくのだろう。
だけどもうこんな思いは散々なので、私はしっかり治療を受けて、体調が万全になるまで無理はしないようにしようと思う。