最近、至るところで『逆光』という映画を宣伝しては、「一緒に行くから見よう」と声をかけている。実際に連れていけたのは2人。これからさらに3人と鑑賞予定である。私は何度も同じ映画を観る、ということになる。

しかしこの映画、もちろん素晴らしい映画だから人に薦めているわけだけれど、別に私が制作に携わっただとか、人を呼べば利益になるだとか、そういったことは一切ない。
むしろ、呼べば呼ぶほど自分のぶんの鑑賞料金は積み重なっていくわけだし、何なら友人のぶんも出すこともある。劇場までの交通費もあるし、グッズも買ったし、クレカ決済のおかげでまだ直視せずに済んでいるけれど、けっこうなお金を払ったはずだ。

では、なぜ私は、自分が作ったわけでもない映画に、地道な集客を行っているのか?
それは、この集客活動は私にとって、「何者か」になるための第一歩だからである。

同世代で「やりたいこと」をする彼は、私にとって光のような存在だ

この映画『逆光』は、須藤蓮さんという25歳の方が監督と主演を務められている。

私と同世代で、「世間から見ればエリートと言われてしまう人生」を途中まで歩んできた、という点も共通している。ただ似ていたのは途中までで、彼はこの自主制作映画で初めて監督に挑戦し、配給を尾道からスタートさせるという新たな試みをし、その熱量で多くの人を巻き込んでいる。頻繁に舞台挨拶を行い、それがない日も劇場に駆け付けて、お客さんと会話をしている。
だから私も、もう何度も彼とお話をさせていただいて、それで、彼の熱量にあてられてしまったのだ。

残念なことに私は、現状では、彼の熱量にはとても敵わない。

昔から物語を作ることが好きで、小説を書いたり、脚本を書いたりして生きていけるのならそれが本望だ。
でも、そうして生きていける人間なんて一握りだということ、そのような生き方のリスクを、これまで偏差値の高い学校を目指して勉強するような人生を歩んできたからこそ、知ってしまっている。学歴なんてつまらないものが、私をレールから外れないように支えている。

そんな私にとって、「自分が本当にやりたいこと」に踏み切った須藤さんは、光のような存在なのだ。

その光に少しでも近づけるように、そちら側にいけるように。そのために私は、あまりにちっぽけな集客活動(そう呼んでいいのかもわからないほど!)をしているのである。

彼らの火を燃やすことで、安全な道を選ぶ自分を燃やし尽くしたい

最初は、舞台挨拶で監督の熱弁を聞き、その後ロビーで直接お話させていただいたことがきっかけだった。
自分が映画を広めたら、グッズを購入したら、きっとこの人のためになる。これから先も映画を作ってくれるかもしれない。そんな気持ちだった。

それから会話を重ね、チーム『逆光』の他の方(たとえば監督と同世代の写真家の石間秀耶さんとか、尾道で出会って仲間に加わったという監督志望の学生とか、みなさんほんとうにおもしろい)とも会話する中で、「このムーブメントにのっかりたい」と思うようになった。この人たちの火を勝手にもらって、燃やしていきたいと。
この熱量を近くで感じ続けていれば、自分の抑圧された熱量も解放されるのではないかと期待して。

もちろん、それだけではダメだとわかっている。

だから、ただ映画を観て監督に会うだけではなくて、「友達を呼ぶ」という自分にとっては「プラスワン」な行動をしているのである。
とにかく行動する。小さいことでも。
今は小さいことだけれど、いつかこれが大きくなって、「やりたいこと」ではなく「安全な道」を選ぶ自分を燃やし尽くせるのではないかと、期待している。