いつか手紙を書こうと決めていたが、こんなに早く頼ることになるとは

時々、自分でも驚くような行動に出ることがある。
1年前の夏もそうだった。自宅で一人、テレワークをしていた私は、朝礼にオンラインで参加した直後、家を飛び出した。

誰にも何も告げずに、勝手に香川まで行った。なけなしのお金で電車と新幹線を乗り継ぎ、4時間後には高松駅に降り立っていた。
行き場のない思いを包摂してくれる場所が、そこしか思いつかなかったから。
香川県は三豊市詫間町粟島にある「漂流郵便局」だ。
1週間前、SNSでたまたま見つけた投稿に、届け先のない手紙やはがきを預かるという一風変わった郵便局の情報が書かれていた。

どうしようもない孤独に襲われたときに、いつか手紙を書こうと決めていたが、こんなに早く頼ることになるとは思ってもみなかった。それも、現地まで訪ねに行くなんて。

しかし、思いばかり先走って、事前情報も何も調べずに向かった挙句、着いて早々、出鼻をくじかれる羽目になった。あろうことか漂流郵便局はコロナで閉まっていたのだ。

彼氏の究極の問いかけにひるみつつも、私の願望は一つだった

終わった。とてつもない疲労と情けなさが募り、とりあえず近くのゲストハウスに一泊することにした。
たまたま、ゲストハウスのオーナーが親切な方で、私の身の上話を寛大に受け止めてくれたが、どこか私の心は鎮まりきらなかった。

翌日、高松駅に戻って一か八か、彼氏に電話をかけた。
就活に集中したいという理由で連絡を絶たれていたが、もはやここまできたら心を晒せる相手はあいつだけだった。8コール目でようやく出てくれたものの、ちょうど面接に行く直前らしく慌ただしそうだった。
一瞬躊躇ったが、半月ぶりに相手の声を聴いて、気付けば口が動き出していた。もうどうすればよいかわからない、途方に暮れていると告げると、ただならぬ様子を察したのか、彼氏の声色が変わった。

「会うなら会う。死ぬって言うなら、一緒に死ぬ。俺のこと振り回すなら、振り切ってやれ」

家を出てからというもの、宙に浮いたままだった私の心が、ものすごい速度で現実に着地した気がした。究極の問いかけにひるみつつも、私の願望は一つだった。
彼氏に背中を押される形で、私は彼氏に就活を放棄させ、自分と会うことを選ぶよう頼んだ。

異例のスピードで昇進。他者や周囲の期待に応えようと追い込んだ

数時間後、新横浜駅で落ち合った彼氏に、軽く頭を殴られたが、同時にこれまでにない強さで抱きしめられた。
そのまま、1度過ごしたことのあるラブホテルに向かうと、絶妙な力加減で愛撫され、全身の鳥肌が立った。
一通り、互いの身体を貪り合ったあと、私は事の顛末を改めて話して聞かせた。

新型コロナウイルスという“得体のしれない”ものの台頭によって、2020年、私たちの日常は様変わりした。卒業式、入学式、結婚式、葬式。その年の通過儀礼はことごとく見送られるか、オンライン開催となった。
4月に社会人になった私も例外ではなかった。入社して3日目でテレワークを余儀なくされ、会社の先輩とコミュニケーションをとる機会を逸し、気付けば孤立していた。

完璧主義のあまり仕事への打ち込みぶりは凄まじく、積極性が評価されてか、3ヶ月という異例のスピードで昇進を告げられたが、経営層が続けざまに仕事を振ってくる日々で、他者や周囲の期待に応えようと自分を追い込んだ。

そんなところに、運悪く過激な言葉遣いをするクライアントに遭遇し、やられたらやり返すタイプの私は、忖度なしに生意気なメールを送り返し、案の定、相手先の反感を買ってしまった。
それもこれも、ほぼ全て一部始終は画面上での出来事。嬉しくてもその喜びをわかちあえないし、苦しさに悩んでも、愚痴を吐ける同期も飲みの場も、そもそもない。張り詰めていた糸がぷつんと切れて、衝動的に家を出てしまった。

他人に散々迷惑をかけてでも、誰かにかまってほしかったのかも

ベッドの中で堰を切ったように話す私を、彼氏は終始、抱擁してくれていた。
話を聞き終えたところで、彼氏の口から出てきたのは、しかし、この上なく厳しい言葉だった。

「今のままじゃ、何も変わらない。何をどうするのか、具体的に決めないといけないよ」

全く、その通りである。その時点で、会社にも実家にも大した連絡を入れていなかったし、今回の一件を踏まえて、自分の振る舞いをどう改めていくのかも、ゼロプランだった。
それ相応の反省をしつつ、当の自分が感じていたことは、他人に散々迷惑をかけてでも誰かにかまってほしかったのかもしれないということだった。
救いようのない自分の愚かさに相当呆れたが、どうしようもなく追いつめられたとき、最終的には人を頼れる人間であるだけ、上出来ではないかと思った。

たぶん、私はまた、どこかで過ちを犯してしまう気がする。頭ではわかっていても、人間誰しも正しく在れないときがある。

そのたびに、数えきれないほど多くの人に迷惑をかけては反省し、何より自分自身に打ちのめされ、できることなら何もかも終わりにしたいと願うのだろう。でも、自分の存在を無条件に認めてくれる、肯定してくれる誰かがこの世にいる限り、そう簡単に生きることを諦めきれない。往生際の悪い自分に、そのときばかりは救われる。

怒涛の2日が終わりゆく夕暮れ時、私は彼氏の腕の中で、深い溜息をついた。
愚かな自分に対して。笑っても泣いても、続いていく人生に対して。
明日は、家族からも会社からも、こっぴどくお叱りを受けるのだろうな。
まあ何はともあれ、生きてるだけで丸儲け、か。