片付けのできない子どもが大人になると、片付けのできない大人になる

片付けるぞ!
洗濯物はしまうぞ!
洗い物は溜めないぞ!
床に落ちている物を拾うぞ!
ていうか、そもそも床に物を置かないぞ!

片付けが苦手だ。物心ついた時から片付けが苦手だった。おもちゃやランドセルは親の雷が落ちるまで放置していたし、夏休みの課題も最終日まで残っていた。片付けのできない子どもだった。
片付けのできない子どもが大人になるとどうなるのか、ご存知だろうか。
片付けのできない大人になるのである。

実家にいた頃、自分の部屋が散らかっていることにさほど不快感はなかった。片付けが苦手なことに後ろめたさを感じることもなかった。部屋の惨状を目にするのは勉強をする時と寝る時くらい。
その他の家で過ごす時間はリビングにいれば、いくらでも逃げることができた。

「散らかってるな」と思うことと、片付ける労力を天秤にかけた結論は

一人暮らしを始めて、これが深刻であることに気づいた。
片付けができない、仕方がわからないのだ。散らかった部屋を見て何も感じないわけではない。「散らかってるな」と感じるだけどその先に行かない。「散らかってるな」と思うことと、片付ける労力を天秤にかけると、散らかっていることに目を背けながら暮らすことが1番省エネだと考えてしまう。
雷を落としてくれる積乱雲は自分以外誰もいない。

散らかっていることへの罪悪感はある。しかしストレスをさほど感じない性格に加え、物のカテゴライズがびっくりするほど下手なのだ。
例えば服。洗濯するものはカゴか洗濯機の中に入れる、干して乾いたものはハンガーにかけるか畳む。そこまでは分かるし、ある程度できる。
でもニットとかデニムとか、何度か着てから洗う物は?!引き出しに入れるのもおかしいし、ハンガーラックにかけても洗濯機した物と隣り合わせになったら?!無駄な深読みが私を追い詰め、結果定位置を与えてもらえなかった服たちが床に散乱する。服が大好きなのに、これでは服がかわいそうだ。
次に化粧品。毎日使うし、スキンケア用品は朝も夜も使う。使用頻度が高ければ高いほど、"片付けていない状態"が限りなく正解に近いのでは?!とまで思ってしまう。

"片付けの鬼"とまではいかなくとも、せめて散らかり部屋から脱却を

そんな私が唯一片付けられるのが、四角い物だ。
実家にいた頃から唯一、本棚だけは綺麗だった。今もそうだ。小説は作者ごとに並べているし、雑誌も背の高さや発行された順番を揃えてある。本棚だけなら、いつだって来客も歓迎だ。
それからタオルとハンカチ。必ず畳んで引き出しに入れる。綺麗に並んでいる方が気持ちがいいし使いやすい(あとちょっと片付け出来た感が出る)。
もっと言えば、ファミレスの厨房のバイトをしていた時も四角い物の片付けはピカイチだった。厨房には下ごしらえした食材を入れる様々なバットが大量にある。それらを毎日大量に洗っては片付け、使っては洗っての繰り返し。洗上がった物は洗浄機から回収し、棚に仕舞うのだが、この作業が大好きだった。
棚ぴっちりに積み上げる。手早く正確にをモットーに、バイトの鬼と化していた学生時代。
持っている物全部、四角形にしようかな。

2022年、"片付けの鬼"とまではいかなくとも、せめて散らかり部屋から脱却したい。
まずは床の物を拾おう。物の定位置を決めて、使ったら元に戻そう。人間として当たり前のことをしよう。
散らかっていることへの罪悪感も払拭したい。片付いた状態を保ったまま週末を迎えたい。気軽に友達を呼んでお茶とかしたいし、花とか飾りたい。
もう今年は始まっているから片付けないと。まずは今目の前にある出しっぱなしの化粧品から。定位置は右側にある戸棚にしよう。
明日の朝使ったら、ちゃんとそこに戻すんだぞ、自分。