私は根っからのインドア派。
暑い時は室内。寒い時も室内。仕事が休みの日は家。極力外には出ない生活を送り続けている。
外に行くとお金がかかる。外に行くと体力を使う。外に行くと気を遣う。
インドアの私は、ただただ家に引きこもる。それが体も心も楽だからだ。

しかし、インドアであるが故に、周りがアクティブに活動していることに心穏やかでなくなる時がある。

周りが結婚したり、子どもを産んだり、出世したりする姿を見てモヤモヤする。素直に喜べない。祝福したいのにできない。
自慢か。うまくいっていることのアピールか。マウントを取ってきてる。喜ばしいことなのに、悲観的に見てしまう。

なぜそんな風に思ってしまうのか。
本当はわかっているのだ。

進めないことへの言い訳を作り、足踏みをして前に進んでいない

自分が立ち止まってしまっているから。だらだらと足踏みをして前に進んでいない。前に進まなきゃいけないと思っているのに、なかなか踏み出せない。
仕事が多いから。持ち帰りの仕事もあるから。バイトと掛け持ちしてるから。祝日も働いているから。家事をやってるから。何でも理由をつけて、進めないことへの言い訳を作ってきた。
「それなら仕方ないね」「大変だね」「しょうがないね」と言われるように、自分で忙しいアピールをした。誰にも責められることもなく、自分でぬるま湯に浸かってきた。

もちろん忙しいことは嘘ではない。朝7時から夜の9時半まで働くこともある。
でも、それが進められない理由にはならない。
休みの日もあるし、たとえ休みがなかったとしても、気持ちさえ強く持てば前に進めることが可能なことくらいわかっている。
わかっているのに、言い訳を作り止まってしまう。インドア派が心も体も楽と思っているが、進まない自分と進んでいる周りを見比べた時、インドア派の私が嫌になる。かといって、今からアウトドア派になって外で活発に動くなんてことはしたいと思っていない。

結局はインドアでもアウトドアでも、私の心の中ではどちらも関係ないのだ。
インドアだろうとアウトドアだろうと、進んでいる人は進んでいるし、だらだらしている人はだらだらしている。全ては気持ちの問題だ。

結果ではなく過程が大事なんて周りも私も言うけれど、結局は結果

私はただ、新しいことをする活力がない。
苦手なことに踏み込む勇気がない。
頑張ってもダメだった時が怖い。
周りの目が気になって挑戦しづらい。
そしてやる気がどんどんなくなり、もう今のままでいいやと投げやりな気持ちになってしまう。

「結果じゃないよ!過程が大事なんだよ」
よくそんな風に声をかける人がいる。自分もそう言う時がある。
でも、やはり結果で判断してしまう。

結果が良ければ喜ぶ。悪かったら頑張ってもガッカリされる。
「頑張っても……わかはお姉ちゃんのようには結果が出ない」
そう両親に言われて号泣した時のことが頭から離れない。結局結果じゃん。味方であるはずの親でさえ結果を見ているのに、周りが結果で判断しないはずがない。

言い訳やモヤモヤから脱するために、人生という名の旅に出る

それでも、私はこの重い腰を上げる必要がある。
本当は気づいているのだ。
このままではいけないことに。

周りが結果で判断したとしても、結果がついてこなかったとしても、立ち止まっていたら今のモヤモヤした気持ちから何も変わらない。
この先ずっとモヤモヤするなんて、間違っている。
挑戦したら失敗するかもしれない。でも、何度も挑戦したら結果が出るかもしれない。ごちゃごちゃ言い訳を作って何も変わらない生活をするより、失敗しても、認められなくても、どんどん前へ向かって挑戦したら、違った世界が見えるかもしれない。何か変われるかもしれない。もしかしたら何か良いものが掴めるかもしれない。

だから、私は人生という名の旅に出る必要がある。
この、今のモヤモヤから脱するために。