わたしは旅が好きだ。

でも、何泊もするような旅に行くことはない。
……といっても、「ちょっと散歩に行こう」と思って行ける距離よりも、遠くに行くのが好きだ。
例えるならば、“東京から大阪”と、“新宿から池袋”を足して2で割る程度の旅が好き(例えられてない気がするが)。
要するに「そこそこの旅」が一番好きだし、わたしに一番合っているように思う。

突然始まる「そこそこの旅」では地図は使わない。それも魅力だ

わたしの「そこそこの旅」はある日突然始まる。
ある時にふと、「あ、あそこに行きたい」と天からのお告げがやってきて、「よし。行こう」と考えたのも束の間、早速「そこそこの旅」に出かける。
でも、「よし。行こう」と思ったところで、お金も時間もないことが多いので、目的地に着くまでの旅をそこそこ楽しむ程度で終わってしまう。

ところが、驚くことに……これが一番楽しいのだ。

わたしの「そこそこの旅」はGoogle Mapを使わない……というか機械音痴過ぎて使えないのだ。
もちろん、手描きの地図も不要。
おかげで迷子になることもしばしば(いや、結構頻繁に)起こるが、これが「そこそこの旅」の魅力だと断言しよう。

まず道に迷ったらどうするか。
……わたしは気合で乗り越えようと頑張る。
交番のお巡りさんに道を聞けば済む話だが、いい年してだいぶ恥ずかしい思いをすることが目に見えてわかる。なので、まずは自力で目的地に行こうと試みる。
それでも辿り着けそうになかったら……?
わたしは地元の人に話しかけ、助けてもらっている。

地元の人との会話に感じる幸せ。私にとって「そこそこの旅」とは

「○○はどこですか?」と聞いた後に、「この場所で○○は有名なんですか?」「初めてここに来たんですよー!」など、他愛のない会話を少しした後、別れるのが「そこそこの旅」の醍醐味だ。
数回の会話で終わることもあるが、大いに盛り上がって時間が過ぎていくこともある。
このときの時間が、わたしにとって一番幸せを感じる(要するに私は人のやさしさにつけ込んでいるずるい人間なのだが。フフフッ……)。

少し話した後に一人歩いていくと、いろいろな景色に出会う。
未だに昭和が残っているかのような街並み。
青々と生い茂る一面の野原。
色づくもみじの嵐。
木々が生えた古墳。

これらはまるで昔の人が落としていった宝物のように思えるほど美しい。
わたしは人々の落とし物を辿るように「そこそこの旅」を続ける。

その時に気づくことがある。
目的地に「行くこと」が旅なのではなく、目的地に「行くまで」が旅なのだと。
そう考えると目的地に行くことはそっちのけ。ただ我が道を進む。
迷ったら人に助けてもらう。そして、会話を楽しんだ後に旅に戻る。
周りの景色に時には心を奪われ、一休みすることもある。後はそれの繰り返し。

全てのものに愛おしさを感じるそこそこの旅をぜひ体験してほしい

「そこそこの旅」では多くのものに触れる。
人のやさしさ、自然の美しさ、髪を撫ぜる風の音、燦燦と降り注ぐ太陽のぬくもり……。そのすべてが愛おしいと思う。

コロナ禍になってから「そこそこの旅」は一時中断……。
でも大学に行くときや家に帰るとき、いつもと違った道を行けば「そこそこの旅~プチver~」が始まる。
それまでは大学周辺はビルが立ち並び、「the 都会」という空気が漂っていたが、その裏には懐かしい街並みが隠れていることを知った。「そこそこの旅~プチ(以下略)」もそこそこ楽しめそうだ。

目的からずれた「そこそこの旅」……。あなたも体験してみませんか?