「あしながおじさん」を心に、高校受験へ。合格できた

私の故郷で進学するには「女子校」がお決まりのパターンだった。
それは別に構わないのだけれど、嫌ではないけれど、なんとなくそれ以外の何かが欲しい年頃、私はある本に出会った。
ウェブスターの「あしながおじさん」である。

当時、「あしながおじさん」という言葉だけは知っていたが、思えば作品を読んだことがなかったな。そう、思って中2の時に手をとった。
女の子が奨学金のかわりに支援者のおじさんに報告を兼ねた手紙を書く話。そこまでは知っていた。
読んでみると、舞台は孤児院から女子大。主人公のジュディはユーモアのある文を書くセンスがある。
すごくキラキラしたわけでも、お姫様でもなんでもない、「日常的」な風景だけれども、プリンセスで胸焼けをする人間が現役で厨二病だった時である。
ジュディの皮肉な言い回しは心に響いた。

こんな日常、いいな。
ちょうどその時、ケーブルテレビで世界名作劇場のアニメをやっていたことも手伝った。
「行くぞ、女子高」
最後の展開の、おじさんと出会うラブロマンスは置いておいて。
あしながおじさんを心に、私は高校受験に挑み、合格した。

母校では、サリーとか、ジュリア的な子がたくさんいるなぁと思った

素敵なおじさまの存在以外、あしながおじさんの世界は割と現実味が帯びてきた。
県内の有数の進学校の母校は、県外からも通学している友達もたくさんいて、絵に描いたような優等生、お嬢様は山のようにいた。
主人公ジュディのルームメイトだった、サリーとか、ジュリア的な子がたくさんいるなぁと思った。
今まで、友達から来る年賀状は同じ街で統一されていたのに、一気にバリエーションが広がった。
「県外の友達ってできるんだなぁ」と、しみじみと思った。

夏休みにちょっと電車で遠出して、友達の家に遊びに行くのは、不思議な感覚だった。
友達ができる楽しみの他、追試に怯える試験環境もまさかとは思ったが実在した。
ジュディは数学とラテン語の追試を受けている。なんなら再試験の結果も報告している。
追試の世話に私は直接なったことがなかったが、友達が何回も数学の追試を受けていた。
中学までは吸収しきれていて、わからないなんてことはほとんどなかったけれど。
確かに、理解しきれない、わからない箇所は増えた。予習も復習も大変だった。
「本当にあるんだなぁ」
そう、あしながおじさんの世界に片足を踏み入れながら、生活をしていた。

「化学科」「応用生物科」を書いていた志望校一覧は真っ白に

さて、時はすぎて高校三年の進路の選択肢。
私は化学系に興味を持っていたので、理科の先生あたりにでもなろうとしていた。
部活の化学部でも活動したり、内申点もがんばってとっていた。

が、高校三年生の夏休みに手が皮膚炎を起こしてしまった。右手の皮がほぼ全部剥がれ、包帯を巻いた状態で生活した。左手で文字を書かざるを得ない程だった。
「薬品はちょっとやめたほうが、今後のことも踏まえていいんじゃないですかね」
と医者に止められた。
それまで「化学科」「応用生物科」等を書いていた私の志望校一覧は真っ白になってしまった。

が、そんな時、一年生の時に見に行った女子大に、「数学」というジャンルがあったことに気づいた。
大好きかはどうかとして、一番できた数学。
「そっか。数学だったら薬品関係ないじゃん」
そこから、志望校を色々と模索した。
数学、情報系ならば置いてある女子大はちらほらあった。
「女子大、受けるかぁ」
すこし落ち込んでいた私の胸に、あしながおじさんと、まさかの形で再会を果たすこととなった。
「うちは奨学金はないからね。きっちり勉強して」
と親に言われたことは覚えている。色々な事情や学部学科など慎重な議論を重ねた結果、めちゃくちゃ女子大ばっかり受けたことも覚えている。
「行くぞ、女子大」

錯覚は今でも。私の人生に「おじさま」がいたのではないかと

結果、何箇所か受かって、一番志望度の高い、直前までE判定だった女子大に合格し、進学した。
私立の第一志望、東京にある某女子大。なんと今回は寮もがっちりついてくる。
これはまた、あしながおじさんの解像度が上がってしまう。
テンション高々に両足を女子大に踏み入れ、進学した。

その後の大学の4年間は、一言で言えば「勉強させられた」毎日だった。
いろいろあったルームメイト、面白かった寮の仲間達はもちろんだが寮では誰かがいつでも勉強していた。
課題や試験前になると情報交換が始まった。卒論の際は、アンケートを答えさせ、答えさせられの問答が続いた。遅くまで残って課題を作った。勉強した。アルバイトもした。私は奨学金はもらっていない。両親も健在だ。

物語の最後で、何かと気にかけてくれた男性が、あしながおじさんと知り、ジュディのラブレターで幕はとじる。
私はおじさま要素はおろか、ロマンスもビタ一文もない学生生活だったが、なんとなく、私の人生にそんなおじさまがもしかしたらいたのではないかと、人生を振り返るたびに、錯覚してしまうことが、今でもちょっと、たまにある。
思い焦がれるくらいで、ちょうどいいかもしれない。