私にとっての忘られられない味は、メンチカツうどんだ。
上に乗っているメンチカツが、うどんの出汁を吸ってどんどん重たくなって沈んでいく。
早く食べなければと焦って食べるあの味は、私の幼少時代の父との思い出の味だ。

父とのお留守番の時にだけ食べられる大好きなメニューとレンタルビデオ

私の家庭は母が専業主婦で、家事や料理全般を全て行っていた。そんな様子だったので、父は普段全く料理をしない。私の幼少期の記憶の中でも、父がキッチンに立っているのは見たことがない。
そんな父でも、週末に母親が用事に出かける時など、たまにではあるが私にご飯を用意しなくてはいけない時があった。私はその、父とのお留守番の時に食べるメンチカツうどんが大好きだった。

お留守番の時は、父と一緒に近所のレンタルビデオ屋さんに行くのがお決まりだった。今はもうないレンタルビデオ屋さんだが、その空間が私は大好きだった。
アニメや日本のドラマ、初めて知る海外の映画など、ワクワクの種が潜んでいる不思議な空間に身を置いている時間が大好きだった。

自分の好きなビデオと、父の好きなビデオをそれぞれ選んで、家に向かう。ただし、レンタルビデオ屋さんと家の間に精肉店があるので、そこで寄り道をしてメンチカツを買って帰るのがお決まりだ。

家に着くと私はテレビでDVDプレイヤーを準備する。父はキッチンでうどんを準備する。冷凍のうどんをお湯で解凍して、同封されているスープを溶かすだけだが、普段料理をしない父がキッチンにいることがすごく貴重な光景だったのを覚えている。

うどんを食べながら映画鑑賞スタート。難しい内容だけど幼心に響いた

うどんが出来上がったら、父は買ってきたメンチカツを上に乗せ、テレビの前の低いテーブルに丼を二つ置いてくれる。メンチカツうどんを食べながらのおうち映画館がスタートだ。

父がレンタルビデオ屋さんで選ぶ映画は、いつも少し難しかった。ヒューマンドラマのような内容が多く、まだ幼稚園の私には難しかった。
今でもおぼろげに、ただし印象深く覚えているのは、不器用な父親と内気な小学生の娘の二人暮らしの物語だ。
両親の別居を機に突然始まった父と娘の二人暮らし。血が繋がっている親子だけれどもどこかぎこちなくて、でもゆっくりと縮まっていく二人の心の距離を繊細に描写したストーリーだった。
両親の間で起こっている大人の事情に困惑しながらも、自分にとっては唯一無二の父親に少しづつ歩み寄る娘と、仕事人間で家の事や子供の事は全て母親に任せていた父親が、今までの空白の時間を埋めるように手探りで本当の親子になっていくのだ。
なぜ突然両親が別々に暮らし出したのか、今まで家にほとんどいなかった父親が娘のお世話をするようになっているのかなど、細かい物語の背景については私はよく分からなかった。分からなかったけれど、見ていてなんだか心の温度が上がったのを覚えている。

物語に涙した私。父親の娘への愛情を初めて知った濃厚な時間だった

この物語が、最後どのように終わったのかはすっかり忘れてしまった。ただ、長い時間をかけて父と娘が本当の意味で親子になっていく様を見て、私は子供ながらに涙を流したのを覚えている。
その時、父は私の隣で肩を引き寄せて「悲しくなった??」と尋ねてきた。でも、悲しいとはどこか違う感情だった。
父は、まだ幼稚園の娘に両親が別居する物語を見せてしまったため、感情移入をしてしまい泣いてしまったのかと思ったのだろうか。ただし、私は悲しくて涙したのではない。この物語を通して、父親の娘に対する愛情というものは本物なのだということを、初めて知って涙したのだ。

たまにある父とのお留守番の時間が、とても濃厚な時間だったことを今になってようやく気付いた。
父はこの物語に出てくる父親に自分を重ね合わせて、私に何かを伝えたかったのかもしれない。メンチカツうどんを食べることは大人になってからはほぼなくなってしまったけれど、今でもふと、出汁を含んで沈んでしまいそうなメンチカツが乗ったうどんを食べたくなることがある。
この味は一生忘れたくない、父と私の二人だけの味なのだ。