勉強は嫌いだったけど友達はたくさんいた。家では布団の中で1日中過ごすような人間だけど外では人当たりよく過ごしている。
そしてこのコロナ禍、自粛を徹底し、人一倍気を付けて過ごし会社と家の往復。社会的に見てどこにでもいるそれなりにちゃんとした人間だと自負していた。

自分の何も無さに落ち込んだとき、ある芸能人の言葉が耳に残った

昨年度末、私は会社を辞めた。価値観の違いに耐えられず、これからのことも考えずに。
それから焦りと共に一度自分について考えた。この先の靄のかかった道を思うと嫌でも考えてしまうもの。私自身を活かせるものは何だろう。私の得意なこととは。私の強みとは。

自分の何も無さに落ち込んだ。もともと低かった自己肯定感は皆無になり、どこにでもいるそれなりの人間からは成り下がったと感じた。
今までそれなりの人間として過ごしてきた日々の意味とは何だろう。少し道を逸れると落ちぶれて見えてしまう。そんな世の中に絶望した。「芸能人はすごいな。キラキラしていて……」と私の人生とは程遠い存在に憧れたりもした。

そんな時、とあるキラキラな芸能人のこんな言葉を耳にした。
「ゴールが分からない――」
耳を疑うと同時にほんの少しだけ肩の荷が下りた。あんなにキラキラ輝く芸能人でさえも不安を覚えている。

今一度改めて考えると、大勢の人が見ている四角い箱の中のキラキラが、その人の全てではない。もしかしたら家ではすごく悩んでいるということもあるかもしれない。キラキラ芸能人はずっとキラキラしているわけではない。
当たり前のことだが、必然的に目で見えているものにしか興味を抱いていなかった。

新年という風をうまく利用して、「書くこと」に挑んでみる

そうすると、私が憧れているキラキラしている人とは何だろう。何もしてないと無駄に色々と考えてしまう。
身体の奥の方にいる、大きくて存在感のある黒いモヤモヤした塊が少し緩んだことで、あることを思い出した。無難に生きてきたため怒られることも褒められることもあまりなかった。だが、珍しく褒められこと、それは文章だった。

小学生の頃は、皆が嫌がっていた歴史新聞の作成をとても楽しんでしていると通信簿に書かれていた。高校の時はクラス紹介の文を提出すると、今までで一番上手にまとまったクラス紹介だと言ってくださった先生もいた。社会人になってからも上手く書けていると言ってくださったことがあった。

今の今まで忘れていたぐらい小さな出来事で、それはお世辞だったかもしれないし、鵜呑みにはしていない。しかし、それに気づいた時、あまり褒められたことのない人間にとっては1つのことをよく言ってもらえて悪い気はしないものだった。

今までは仕事から帰ると自分のしたいこともできず倒れるように寝て、また仕事へ行くという日々の繰り返しだった。仕事と睡眠しかしていない毎日。休日も体力はなく1日ベッドの上でスマホをいじることしかできない。
だが今はたくさんの時間があり、持て余している。私は文章を書くという機会を持ってみることにした。
行動力のない私は2022年、新年という新鮮な風を上手く相乗させて珍しく挑戦をしている。

新たな可能性を探し、自分を信じてあげる。まずはその一歩を

このコロナ禍、特に新たな一歩というのは困難を要することもあるだろう。そして私以外にも家と職場の往復の日々の方もたくさんいるだろう。
そうなると、何のためにこうして動いているのか分からなくなってくる。たくさんの人が黒い塊を抱えている。「ちゃんとする」ということを緩めることが出来たらいいかもしれないが、社会に属している以上、社会の柵を解くのは難しい。

そもそも「ちゃんと」とは何だろう。まじめな人こそ、そのよく分からないものに苦しめられている気がする。昨年は占い界では大革命があり時代が変わったらしい。
フリーランスの時代、と耳にした。どうやら時代はどんどん変化しているようだ。よくわからない柵もどんどん緩んでいけばいいと思う。そして新たな時代に乗り「よいしょ!」とだけでも声が出れば万々歳だと思う。

憧れていた「キラキラ」が何かはまだ分からない。まだ黒い物にのみこまれそうになる時もある。それでも、きっとずっと前からあったであろう身体の奥の黒い塊を少しずつほぐしていき、ゆくゆくはキラキラなものを身体の奥に作りたい。

とても難しい課題。しかしどうもがいても不安を覚えない毎日なんてこの世にはない。
自分の新たな可能性を探し自己肯定感をあげていく。そのために視野を広く持って、少しだけ、ほんの少しだけ自分を信じてあげたい。

これが私の2022年の宣言。
この執筆が私にとって歩幅は小さいかもしれないけど足跡は濃く残る、新たな一歩になると信じて……。